1956年7月9日生まれ、アメリカ、カリフォルニア州出身。俳優として数々の受賞歴を持つだけでなく、プロデューサー、監督としても活躍。ジョナサン・デミ監督の『フィラデルフィア』(93年)、ロバート・ゼメキス監督の『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94年)で2年連続アカデミー賞を受賞し、ペニー・マーシャル監督の『ビッグ』(88年)、スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(98年)、ゼメキス監督の『キャスト・アウェイ』(00年)で同賞にノミネートされる。
今もなお愛され続ける珠玉の名作『メリー・ポピンズ』。その誕生の裏に隠されたウォルト・ディズニーの奮闘を描いたのが『ウォルト・ディズニーの約束』だ。
娘の愛読書でもある「メリー・ポピンズ」の映画化を熱望し、何度もラブコールを送るウォルトと、オファーを断り続けるイギリス人の原作者P・L・トラヴァース。そうした状況が20年以上続いたある日、ウォルトにチャンスが訪れる。本が売れなくなり経済的に苦しくなったトラヴァースが、イギリスからやって来ることになったのだ。だが、これで映画化できるとウォルトが思ったのもつかの間、彼女は脚本やアイデアをことごとくはねつける。なぜトラヴァースは、頑なに映画化を拒否し続けるのだろうか──?
ウォルトがトラヴァーズにした“約束”を通じ、偉大なる“エンターテイナー”の姿を描いた本作について、主人公ウォルトを演じたトム・ハンクスに聞いた。
ハンクス:僕はウォルト・ディズニーに見た目も声も似ていない。口髭や髪の毛の一部をのばすことはできるけれど、実際にやらなければならない仕事は、どうにかして、彼の眼のなかにあるあの奇抜な雰囲気を出すこと、そしてそれにともなう鋭い眼識を出すことだったんだ。彼は疑いなく偉人であり、彼の家族はサンフランシスコのプレシディオに彼の博物館を建てたけれど、そうする価値のある人物だよ。ウォルト・ディズニーをただ単に真似することなんてできない。彼の喋りには独特な抑揚があって、それは、彼の頭のなかにある熱意から生まれているのではないかと思うんだ。彼の頭のなかはいつも素晴らしいアイデアであふれていて、そういうアイデアでみんなをワクワクさせたくてしょうがなかった。僕はそれを目指したんだ。彼は、そういうすべての物を建てたことやそこから飛び出してくるものに対して誇りと喜びを持っていた。なぜなら、おそらく心の奥底では、それが自分自身を体現するものだということを知っていたからじゃないかな。
ハンクス:それはきっと、彼が会社を運営する立場になってもまだ、アニメーション・デスクに座ってハードワークをしていた頃とまったく同じ考え方をしていたからじゃないかな。彼がカンザス・シティで作っていた映画や、ハリウッドに出てきたばかりの頃に兄弟で作った映画はどれも、ものすごいハードワークを要する作品で、その部屋にいる人々の人間性をどれだけ楽しめるかというところが重要だったんだ。とても楽しい愉快な人々とアイデアを出し合う話し合いを通じて、みんながお互いを深く知って行く。ウォルトは、「自分はもう40年も絵を描くために鉛筆を手にしていないけれど、今でもあそこに座って絵を描いている男として物事を考えている」と言っていたと聞いているよ。
ハンクス:お互いを嫌っていたよ。最後の最後までお互いのことが好きではなかったんだ。この脚本も、上手にそういうエッセンスを捉えて、「そして2人は永遠に幸せに暮らしました」とならないようにしているね。
トラヴァースはとても複雑な過去を持つタフでミステリアスな女性だった。世に出たとき、彼女の本名がヘレン・ゴフだと知っている者は1人もいなかった。僕もこれまで色々な子ども向け小説の作家に会っているけれど、みんなすごくディープでダークな人たちばかりだよ。彼女もそうだったんだね。小説の「メリー・ポピンズ」はずっとダークで、ずっと残酷で、おそらく広い観客層に受け入れられるタイプの作品ではなかった。ウォルト・ディズニーは20年もこの小説の映画化権を追い求め、ようやくそれを手に入れて映画が作られることになった。トラヴァースが気持ちを翻したのは、お金が必要だったからなのか、それとも見過ごせないほどのオファーだったからなのかは定かではないけど、それはともかく、彼女は映画脚本の承認権を保持していたんだ。1960年代初頭にそういう権利を得るというのはほとんどありえないことだった。でもディズニーは譲歩したんだ。
ハンクス:小さな頃に見たのを覚えていて、その時、確か「凧をあげよう」で泣いたような気がするんだ。「凧をあげよう」の場面でノックアウトされたことを覚えているから、おそらく2度目に再公開されたときだったんじゃないかな。とてもハッピーなシーンだと思ったね。その後も、子どもたちと一緒に見ているよ。
ハンクス:うん、新たなことを本当にたくさん知ったよ。ずっと以前にウォルト・ディズニーの伝記を読んで、本当に興味深いと思っていたんだ。彼は芸術を始めたけれど、その芸術は多くのお金がかかるものだったので、金銭を追求するようになった。だけど、創作過程そのものへの情熱は一切失うことがなかったんだ。
彼がやるべくしてやったことで驚異的だと僕が思うことのひとつは、お金が手に入ってウォルト・ディズニー・スタジオを公的にオープンするやいなや、彼のアニメーターたち全員を学校に送り込んだこと。彼は文字通り、芸術だけにフォーカスを置く世界レベルの教育機関であるカルアーツ(カリフォルニア芸術大学)をスタートさせたんだよ。彼がそうした理由について「私たちはモーションを捉える術(すべ)を学ぶ必要があるからだ」と言っている。衣服のなびかせ方、風の吹かせ方、池の波紋の広がり方、落ち葉の落ち方といったもの。そういうことをできるようにするために喜んで巨額を投じているんだ。他に類を見ない予見力のある人物だね。
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