1973年11月27日、神奈川県横浜市に生まれる。『バタアシ金魚』(90年)で映画デビュー。『Helpless』(96年)で映画初主演。『劔岳 点の記』『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』(共に09年)で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。『地球で最後のふたり』(03年)ではベネチア国際映画祭コントロコレンテ部門の主演男優賞を受賞した。11年に『マイティ・ソー』でハリウッドに進出。
『サッド ヴァケイション』や『乱暴と待機』などこだわりの強いインディーズ系作品に数多く出演してきた浅野忠信。だが、2011年にハリウッド映画『マイティ・ソー』に出演し新境地を開拓した。そんな彼が、2作目となるハリウッド作品に出演。次なる出演作『バトルシップ』は、エイリアンの侵略部隊と世界連合艦隊の闘いを迫力ある映像で描いた作品だ。
同作で浅野が演じたのは、米海軍将校の主人公がライバル心を燃やす自衛艦の指揮官。デキる男を演じた浅野に、ハリウッド映画に出演した感想や英語での苦労、そして今後の活動について語ってもらった。
浅野:そうですね。でも、大きなセットもありました。
浅野:そうですね。想像しながら演じるわけですから。でも、ああいう撮影は嫌いではないし、楽しんでやっていました。
浅野:わりと若い頃から考えていました。小さい頃から、親にアクション大作映画などに連れて行ってもらったりしていたので。僕はインディーズ映画ばかりに出演しているイメージがあるので、他の国に行ってもインディーズ映画だとつまらないかな、と。外国の映画に出るんだったら、大きな作品に出たいと思っていたんです。
それから、おじいちゃんがアメリカ人なので、アメリカで仕事をしてみたいとずっと思っていました。で、アメリカ映画というとハリウッド大作というイメージだったので、『バトルシップ』のような大きな作品に出たいと思っていたんです。
浅野:僕が行動に出た、というよりも、これまでの活動が出演に結びついたということなんですよ。自分からアピールしたりするタイプでもないので。
浅野:そうですね。だから、夢を持ち続ければいつかは叶うんだなと思いました。
浅野:感じましたね。予算がすごくあるし、たくさんのスタッフがいて、大きなセットを建てられて、素晴らしいロケ地で撮影できて、うらやましい限りでした。
浅野:ええ。今回は監督と面接してキャスティングされたのですが、オーディションで選ばれるのは悪くないな、と。出演したいという人がどんな人かを見るためには、日本にもオーディションという場がもっともっとあってもいいような気がしました。
浅野:(主演の)テイラー・キッチュには、本当に助けてもらいました。英語があまり得意ではないので、監督から言われた言葉をテイラーが(かみくだいて)説明してくれたり、セリフの言い方なども教えてくれたりしました。
浅野:彼とはそこまでからみがないのですが、同じ部屋にいて、同じシーンに出られることに感動しました。彼の演技を間近で見ることができたので、とても勉強にもなりました。
浅野:26歳のとき、クリストファー・ドイルが監督した『KUJAKU 孔雀』(99年)でカンヌ国際映画祭に行って「英語を勉強しなきゃ」と思ったんです。それからロサンゼルスに1週間、留学したりしたんですけど、当時はそこまで本格的ではなくて。アメリカ映画に出ることになって、本格的に始めた感じです。今までとは取り組み方も変わりました。自分としては、26歳の頃に比べると英語力は格段に上がったとは思いますが、英語はつねに勉強し続けないとダメですよね。
浅野:アメリカ映画には出演し続けたいと思います。でも、日本の映画にも出続けたい。そして、それぞれの作品で、きちんと結果を出していきたいですね。もちろん、アメリカ以外の国の映画にも出たいです。
作品選びについては、「選ぶ」という感覚があまりないのですが、いただいた作品にきちんと取り組んでいきたいと思っています。
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