画面に何も映らないうちから映画は始まっている。観客の視覚と聴覚を通して、沈黙と言うものを伝えるオープニングに続いてファーストカットが映し出されると、瞬時に17世紀、江戸時代初期の世界に連れていかれていた。そんな冒頭から一気に引き込まれる。マーティン・スコセッシは1988年に遠藤周作の原作を読んで以来、28年をかけて『沈黙 -サイレンス-』を完成させた。紆余曲折を経たそれだけの歳月は無駄どころか、スタッフやキャストを始め、最高を揃えるために必要な時間だった。
キリシタン弾圧が苛烈を極める江戸時代の日本に、2人の若き宣教師がやって来る。敬愛する師・フェレイラが拷問に屈して棄教したという噂を信じることができず、ロドリゴ(映画の役名はロドリゲス)とガルペはマカオで出会った日本人・キチジローを案内役に、彼の故郷である長崎にたどり着く。命がけの旅の果てに、隠れキリシタンが暮らすトモギ村に匿われた彼らは、村民たちの素朴で敬けんな信仰心に打たれる。だが、やがて村にも長崎奉行所の追手が迫る。
ロドリゴを演じるアンドリュー・ガーフィルドも、ガルペ役のアダム・ドライヴァーも、理想を疑わない宣教師のストイックさが漂う。そんな彼らに最初から揺さぶりをかけるのが窪塚洋介の演じるキチジローだ。家族を見殺しにして踏み絵を踏みながら、信仰を捨てきれずに宣教師にすがりつき、またすぐに裏切る。弱く、卑小だが、危険を前にした時の動物的本能の素直さは、誰もが自身の内に見いだす様子でもあるはずだ。それに対して、宣教師たちを歓待するトモギの村民を始め、弾圧に屈しないキリシタンたちの迷いない強さには、長崎奉行の井上筑後守も手を焼き、ロドリゴたちも強く心を打たれる。だが、彼らに命をも落とす試練を与えながら、沈黙し続ける神にロドリゴの心は揺れるのだ。
トモギ村の人々を演じた塚本晋也、笈田ヨシが印象深い。脚本、撮影・美術・編集、そして主演もこなす映画監督である塚本、パリを拠点にピーター・ブルックの舞台を中心に活躍してきた笈田が見せる身体の演技には、台詞を超えて伝わってくるものがある。昨年、『サイレンス』の一場面として最初に公開されたのはロドリゴと塚本が演じるモキチが額をつき合わせているものだった。なぜこの画像が選ばれたのか、映画を見ればわかる。これ以外はあり得ない大切な瞬間なのだ。
キリシタンを弾圧する側を演じたキャストも秀逸だ。井上を演じたイッセー尾形の素晴らしさについては言うまでもない。口にする言葉だけではなく、仕草や相手の台詞を受けての反応に、一筋縄ではいかない人物の深みが見て取れる。通辞役の浅野忠信、ロドリゴたちを日本へと引き寄せたフェレイラを演じるリアム・ニーソンが見せる複雑な人物像も忘れがたい。
裏切りを繰り返すキチジローの関係に、ロドリゴはキリストとユダを重ねているようにも見える。神が沈黙し続ける間、ロドリゴに寄り添い、否、つきまとい続けたキチジローだが、映画公開直前に来日したスコセッシは記者会見でその男の台詞を口にした。「私は弱き者として生まれました。こんな世界のどこに弱き者の居場所があるのですか?」。スコセッシはこの映画によって、弱さを否定するのではなく受け入れる大切さが伝わるように願うと語った。
井上や通辞とロドリゴの対話が印象的だ。冒頭に登場するフェレイラも含め、彼らの佇まいには信じるということそのものを棄てたような虚無がある。微笑みをたたえながら恐ろしいことを口にする井上も通辞も、食わず嫌いどころかキリスト教をしっかりと学んでいる。彼らの不寛容は無知が引き起こすものではないことが、また別の意味で恐ろしい。井上がロドリゴに話して聞かせるたとえ話は江戸時代の日本とキリスト教布教活動やヨーロッパの国々についてのものでありながら、あらゆる時代のあらゆる異文化の衝突に当てはまる内容だ。
誰もが全てを少しずつ誤解しながら理解している。何かを本当に理解したと考えるのはむしろ驕りだ。だが完全に理解できなくても、信じることはできる。ロドリゴとキチジロー、神との関係を通して、国際的なスタッフ・キャストが作り上げた映画そのものを通して、信頼から生まれる大切なものを『沈黙 -サイレンス-』は描いている。(文:冨永由紀/映画ライター)
『沈黙 -サイレンス-』は1月21日より全国公開。
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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