「現代社会はクズ」なのか? 音楽がデータとして消費される時代に思うこととは

#映画音楽#映画を聴く

『モダンライフ・イズ・ラビッシュ 〜ロンドンの泣き虫ギタリスト〜』
(C)Modern  Life  Pictures  Limited  2016
『モダンライフ・イズ・ラビッシュ 〜ロンドンの泣き虫ギタリスト〜』
(C)Modern Life Pictures Limited 2016

…前編「ベスト盤を買うなんて邪道!と思う人にこそ見てもらいたい」より続く

【映画を聴く】『モダンライフ・イズ・ラビッシュ〜』後編

物語はiPodの登場からiPhoneが爆発的に普及するまで、つまり音楽がデータとして“消費”される時代の始まりに設定されている。その変化を嫌い、時代と逆行してCDやアナログ盤といったフィジカル・メディアにこだわり続けるリアム。自身のバンドが立ち行かず反社会的な姿勢を強めていく彼と、2人の生活のために自身の夢を捨て、iPodを買い、現代社会の進歩に適応しようとするナタリーの気持ちの隔たりは、日に日に埋め難いものとなっていく。

別れの日、リアムはナタリーにRadioheadの『Kid A』というCDを「俺には実験的すぎるから」とナタリーに手渡すのだが、それはリアムの置かれた立場や考え方を端的に表している。実際、彼のバンド=Headcleanerが劇中で聴かせる音楽は、どれも不器用と言っていいほどオールドファッションな3ピース・ロック。「歌詞やメロディに光るものはあるけれど、世界を変えてしまうような革新性はない」という扱われ方をしている。

ちなみにリアム役のジョシュ・ホワイトハウスは役者、モデルとして活動するいっぽう、More Like Treesというブリティッシュ・フォークとパンクを掛け合わせたサウンドを聴かせるアコースティック・トリオのメンバーとしても活動している(劇中で演奏されるHeadcleanerのオリジナル曲にも共作者として彼の名がクレジットされていたりもする)。現在はミュージカル映画のリメイク『ヴァレー・ガール』を撮影中ということなので、役者とミュージシャンをうまく両立させた今後の活動に期待したいところだ。

リアムの思う通り“現代社会はクズ”なのか? 彼はそれに適応することなく、我が道を進み続けるのか? そして邦題にある“泣き虫ギタリスト”の意味とは? ダニエル・ギル監督が「99%の人々が共感できる内容だと思った」というフィリップ・ガウソーンによる脚本には終盤で大きなツイストが加わる。その展開を清々しく思うか、苦々しく思うかはあなた次第だが、あらゆる解釈に耐え得るその懐の深さは、タイトルにも使われたblurの音楽に通じるものだ。(文:伊藤隆剛/音楽&映画ライター)

『モダンライフ・イズ・ラビッシュ〜ロンドンの泣き虫ギタリスト〜』は11月9日より公開。

伊藤 隆剛(いとう りゅうごう)
出版社、広告制作会社を経て、2013年に独立。音楽、映画、オーディオ、デジタルガジェットの話題を中心に、専門誌やオンラインメディアに多数寄稿。取材と構成を担当した澤野由明『澤野工房物語〜下駄屋が始めたジャズ・レーベル、大阪・新世界から世界へ』(DU BOOKS刊)が刊行されたばかり。

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