『味園ユニバース』
ドキッとする大音量と、かすかに粘ってよく伸びる声。渋谷すばるが突然歌い出すその場面で、『味園ユニバース』は一気にアクセルがかかる。
舞台は現代の大阪。刑務所から出所した途端に連れ去られ、殴る蹴るの暴行を受けた男は傷だらけのまま、偶然たどりついた公園で行われていたライブに乱入、いきなり和田アキ子の「古い日記」を歌い始めた。その場の誰もが息をのみ、さらに聴き入ろうとした瞬間、スイッチが切れたようにバタリと倒れ込む。一体、この男は何者なのか? 演奏していたバンド「赤犬」とマネージャーのカスミは彼を連れ帰って手当てするが、目を覚ました男は自分が誰かもわからない状態だった。放っておけず、カスミは認知症の祖父と暮らす自宅兼スタジオに男を住まわせ、“ポチ男”と命名。仕事の手伝いをさせながら、彼の身元探しもしつつ、アクシデントでボーカル不在の危機に瀕した「赤犬」で歌うように持ちかける。
ある日突然現れた記憶喪失の人物を、皆が世話する物語はよくある。その定石をたどって話は進むが、ありふれた展開を特別なものにするのは音楽であり、ポチ男を受け入れる人々の情であり、そしてやはり渋谷が演じるポチ男というキャラクターなのだ。
渋谷は言わずと知れたジャニーズの人気グループ「関ジャニ∞」のメンバー。グループとして『エイトレンジャー』シリーズなど映画出演もしているが、これまでは演技よりも飛び抜けた歌唱力で知られる存在だった。その彼が“大阪”と“音楽”という名刺代わりのキーワードと共に見せる熱演が素晴らしい。まずはさておき、キレのある動きだ。喧嘩シーンは言うにおよばず、1つ1つの動作にリズムを感じさせる。タラタラ歩くだけでも、立っているだけでも、佇まいが音楽。クローズアップで決まる表情もいい。文字通り、捨てられた子犬のように心もとなかった眼差しが、荒んだ過去の記憶を取り戻すと、やさぐれた別人格のものになる。山下敦弘監督は『苦役列車』『もらとりあむタマ子』で主演に起用した前田敦子同様、今回も超人気アイドルの新たな可能性を引き出した。
カスミ役は二階堂ふみ。求められがちなエキセントリックさを打ち消し、地に足の着いた大阪の少女をきっちり演じている。「赤犬」は大阪が拠点の実在のバンドで、彼らが実際にライブ会場としているのが千日前にある元グランドキャバレー「味園ユニバース」だ。バンドのメンバーたちの濃すぎるほどの個性も物語に効いている。誰かを、その境遇ではなく全て取っ払った状態で判断してつき合う人々が、きれいなだけじゃない世界で、笑って泣いて怒って生きている。何でものみこむ街の猥雑さが言いようもなく魅力的。この物語にはこれ以外考えられない、そんなタイトルを持ったユニークな音楽人間ドラマだ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『味園ユニバース』は2月14日より公開。
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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