1986年2月6日、アメリカ、ペンシルヴェニア州生まれ。若手個性派として実力を伸ばし、今最も期待されている俳優の1人。ノース・カロライナ・スクール・オブ・アーツを卒業し、ブロードウェイ、テレビシリーズへの出演を経て、ジョン・セイルズ監督の『Amigo』(10年)で映画デビュー。続いて、ライアン・ゴズリング、ブラッドリー・クーパー共演の『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』((12年)、シャイア・ラブーフ、トム・ハーディ、ゲイリー・オールドマン共演の『欲望のバージニア』(12)、全米で大ヒットを記録した『クロニクル』(12年)アトム・エゴヤン監督の『デビルズ・ノット』(13年)などに出演。『アメイジング・スパイダーマン2』(14年)でハリー・オズボーン役を演じ、全世界にその名を知られる。その他、コンサート・ドキュメンタリー映画『メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー』(13年)、リュック・ベッソン監督の『Valerian and the City of a Thousand Planets(原題)』(17年)などに出演。
24歳でこの世を去ったジェームズ・ディーン。この若きスターと天才写真家との出会い、そして死の直前の旅路を描いた『ディーン、君がいた瞬間』が12月19日より公開される。
本作で、世紀のスターという難役に挑んだのはデイン・デハーン。『アメイジング・スパイダーマン2』でハリー・オズボーン役を演じ、その才能に期待が寄せられる若手個性派に、映画の見どころなどを語ってもらった。
デハーン:ジェームズ・ディーンは僕が一番好きな俳優なんだ。だから彼を映画の中で演じるというのはかなり恐ろしい考えだった。最初オファーが来たとき、断る理由がいくつも浮かんだんだ。でも、振り返ると、僕はただ怖がっていただけだったんだと思う。ひたすら断り続ることは、単に恐怖に捕われているだけに過ぎなかったんだ。でも僕は幸運なことに、周りに支えてくれる人がたくさんいて、彼らと話せば話すほど、映画の題材についてやこの機会の本当の意味を考えれば考えるほど、僕を邪魔しているのは僕自身の恐れ以外何もないことに気づいたんだ。僕は常にインタビューで、自分は最もやりがいがあり、最も困難な、自分が恐れる役をやりたいと話しているのに、実際にそれを突きつけられると、「いや、お断りします!」って怖じ気づいたんだ(笑)。ただ怖がっているだけだということを自覚して、有言実行しなければならないと思った。それこそが、僕がやりたい仕事だから。でもぼくも人間であり、恐怖が先立つこともある。
デハーン:大学生の頃だね。大学に入るまでは見たことがなかった。演技の先生たちが「家に帰って、マーロン・ブランドの映画を見なさい、ジェームズ・ディーンの映画を見なさい、ポール・ニューマンの映画を見なさい」と勧めるから、僕たちはそれに従った。恐らく初めて見たのは寮で友だちとじゃないかな。確か『エデンの東』だった気がするけどはっきりとは覚えていないよ。
デハーン:彼は、現代の俳優たちの演技、またはしようとしている演技、リアリティのある演技をした最初の俳優の1人だと思う。彼が3本しか映画に出演していないというのも、もちろん背景にある。そのうち2作は若者をターゲットにした映画だった。『エデンの東』も『理由なき反抗』も若者向けで、だから彼はリアルな演技を見せただけでなく、その世代の声そのものだったんだ。彼はオープンで、感情的で、器が大きく、誰もが彼のことを好きになり、親しみを感じる存在だった。そして彼は死んだ。彼の死後に発表された『理由なき反抗』と『ジャイアンツ』は、世界中の人々に「彼が生きていたらどんなことが起きていたんだろう?」と考え続けさせることになった。それに今もあの写真が残っている。タイムズ・スクエアの写真を知らない人はいない。たとえジェームズ・ディーンのことは全く知らなくても、あの写真は知っているだろう。そしてあの写真たちは、ジェームズが時間という壁を乗り越えて、彼が今でも評価され続けることに貢献している。
デハーン:それはアントンではなく、プロデューサーの役目だった。僕はプロデューサーのイアン・カニングと向き合い、イアンは僕にこの映画がジェームズ・ディーンの単なる伝記ではなく、1人の普通の少年がどのようにスターになったかを描いた物語であることを説明してくれた。その通りで、とても興味深い題材だと感じたんだ。イアンはさらに今の子ども達の多くがジェームズ・ディーンを知らないという事実についても話してくれた。僕にとってそれは悲しいことで、もしこの映画が若い人たちにディーンの映画と触れるきっかけを作ることになるのであれば、それは最高に嬉しく、また重要なことだと僕は思う。次に、僕のマネージャーと話し、僕の妻に話した。彼らは「脚本が好きで、監督も好き、やりがいのある役、これは全部あなたがいつもやりたいと話していたことじゃない? やらない理由なんてある?」と口を揃えるように返してきたよ。
デハーン:4ヵ月ほどあったよ。僕はm「この役を演じるのであれば、準備に万全を期す必要がある。本当にジェームズ・ディーンになるのであれば、まずやるべきことは体重を増やすこと。限りなく彼の外見に近づき、彼が話しているように聞こえる必要がある。その準備にはどれくらいかかるか?本番を迎えたときに完璧に用意ができている状態にする為に、どれくらい時間がかかるだろうか?」と考え、11キロ以上体重を増やし、方言の先生と練習を重ね、外見を近づける為にメーク担当と取り組んだ。かなり徹底した作業だったよ。
体重はコントロールしながら増やすよ、狙ったところに肉をつけなきゃいけないから(笑)。どんな脂肪でもいい訳じゃない。特に具体的な人物を演じるときはね。上半身裸の彼の写真をトレーナーと一緒に見る。彼が「何をしなくちゃいけないか。君の身体を彼の身体に近づけるにはどうしたらいいか」と始まる。確か彼は172.5cm 70kg。ディーンの方が僕より5cm低いから、僕が73.5kgになれば比率は同じで、彼に近づける。だから量を食べて、特にプロテイン等を摂取したよ。かなり徹底していた。2時間毎に食べなくてはならなくて、とにかく食べて食べて、体重を増やして増やしての作業だった。
デハーン:彼のことを実のところあまり知らなかった。僕が今回の出演を決めた時点で彼についての知識といえば、彼の映画、俳優としての憧れ、それに僕の部屋の壁に飾ってあったポスターくらい。多分『エデンの東』か何かの写真だと思われるそのポスターは、珍しいカラーポスターで、大学生だった頃、部屋のクローゼットの後ろの壁に貼ってあった物。おそらく20年くらい前の学生が貼ったんじゃないかな。すごくかっこいいポスターだった。みんなと同じく、僕にとってもジェームズ・ディーンはアイコン的存在。彼のことを1人の人として知るなかで、たくさんの驚きがあった。彼の子ども時代について、如何に辛い環境だったか何も知らなかった。演劇クラスでの彼についてもほとんど知らなかった。彼は演劇学校に入ろうと相当努力したんだけど、授業を受け始めると、ほとんど欠席していた。あるクラスに出席したとき、一人芝居をしてリー・ストラスバーグにこきおろされた。ジェームズ・ディーンはけなされるのが嫌いで、その後ほとんど出席しなかった。面白いな、と思ったのはジェームズがその後デニス・ストックと学校を訪れ、まるで「見て、こんなにいい生徒だったんだ」とばかりに写真を撮っていること。おそらく彼は作りたいイメージがあったんだと思うよ。演劇学校の生徒たちが、彼を最高の俳優と見上げている姿がかっこいいと思ってカメラに収めたんじゃないかな(笑)。
デハーン:色んな意味でこれまでのどの役よりもパーソナルなレベルで共感できたと思う。撮影が『アメイジング〜』のプレスツアーの直前だったから、撮影中は「僕の人生に何が起きるんだろう?」という想いがわき上がってた。ゴブリンに変身する男や、殺人犯等他のどの役よりパーソナルな綿で共感できたね。もちろん多くの共通点があると思う、特に彼の人生で今回焦点が当たっている一コマと、撮影中の僕の人生の一コマがね。
デハーン:当時と今はもちろん違うけど、それでもジェームズ・ディーンはマスコミと複雑な関係にあったことが想像できる。彼は「マスコミに応対しないのがかっこいい」というスタンスを作った人物だ。彼は「映画会社は何もしてくれない。なぜ僕が彼らに尽くさなきゃならない?」と言っていた。彼はアーティストであることと、それがビジネスであることの狭間で苦しんでいたが、それは色んな姿で現代にも共通している。僕たちはみんなアーティストであると同時に、巨大なビジネスでもあるんだ。現代と違うのは、当時の方が映画会社により支配されていたということ。基本的に映画会社が俳優名簿を持っていて、そこに所属している俳優は、その会社の作品にしか出演できない。彼らのイメージも映画会社が指揮権のほとんどを握っていて、観客に与える印象も映画会社が決定していた。「この子を使って、こういうイメージで世界に売り出す」という風に。俳優自身に権利はなかった。最近のマスコミの反応は早いし、ツイッターやカメラ付携帯など揃っているけど、僕はキャリアの選択肢に関して、より自分たちに決定権があると感じている。
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