1959年7月15日生まれ。フランス、オー・ド・セーヌ出身。アラン・レネ監督の『アメリカの伯父さん』(80年)の衣裳アシスタント、ル・マタン紙の記者を経て俳優に。『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(86年)など助演で活躍した後、『女と男の危機』(92年)でセザール賞主演男優賞に初ノミネートされる。98年の主演作『パパラッチ』では脚本も担当。ハリウッドでラッセル・クロウ主演の『スリーデイズ』としてリメイクされた『すべて彼女のために』(08年)や、ステファヌ・ブリゼ監督の『シャンボンの背中』(09年)や『母の身終い』(12年)など、アクションからコメディ、シリアスな役まで幅広くこなす。
リストラされ、妻子や住宅ローンを抱えたまま20ヵ月も再就職できず、職業訓練や面接で屈辱的な扱いを受けている中年男・ティエリー。ようやくスーパーの監視員の職を得るも、さらに残酷な局面が待ち受けていた。
人としてささやかな幸福と尊厳を求める者が直面する、あまりに過酷な現実を冷徹かつリアルな演出で描いた『ティエリー・トグルドーの憂鬱』。フランスで社会派ドラマとしては異例の観客動員100万人を記録した大ヒット作に主演し、2015年のカンヌ国際映画祭およびフランス・セザール賞の主演男優賞を受賞したヴァンサン・ランドンが来日した。寡黙な男の心情を演じ切った彼に、本作での演技について、俳優哲学について語ってもらった。
ランドン:そう。だからこそ、私はカンヌで主演男優賞をもらった時にとても嬉しく、光栄に思ったんです。一般的に言って、こういう賞はとても難しい役に挑戦し、的確に演じた時に贈られるものです。私は次作で彫刻家のオーギュスト・ロダンを演じましたが、8ヵ月の間、毎日8時間彫刻を勉強しました。ただ、この役については方向性が明確でした。もちろん、ロダンになり切るのは大変ですが、逆に本作のティエリーという役には演出の方向性がないわけです。何の手がかりもないまま、どれだけ自分の内面からティエリーを探していくか。そういう役作りでした。
ランドン:私はそういう役がとても好きです。演じる役と俳優を同一視してもらうため、その役として生きるには、多弁である必要はないんです。受け身であること。周りで起こっていることを傍観するのみ、介入することなく、ただ見ていること、そして苦しむこと。これを心がけました。
ランドン:そう言われるのも、よくわかります(笑)。確かにフランス人には、うるさいというイメージもあると思います。しかも意味もないことに騒いだりしてね。一方、日本人は禅の精神で受け入れることができる民族だと思います。この映画はヨーロッパで、特にフランスで大成功しました。ティエリーは決して騒々しい男ではありませんが、彼の生き方について、ボクシングの試合に例えてみると、大切なのは最終的に勝利することなんです。パンチをよけたり、よけきれなかったり、それでも最終的に勝てばいい。ティエリーはその戦いに挑むわけです。何度パンチを食らっても何とか倒れずに踏ん張って、システムに従わず、譲歩しない姿に観客は共感し、ティエリーになりたいと思うわけです。
ランドン:まず、とても心地良かったです。彼らはとても真面目です。私はそこに新しいものを感じ、多くの発見がありました。彼らはいわゆるプロの俳優よりも、この映画の中で語られる登場人物に近い人たちです。恵まれない環境にあったり、階層的にも近い。彼らの存在が、映画に真実味を与えることができたと思います。共演シーンの撮影はほとんどワンカットで行われ、何か技術上の問題があったときのみ、2度目を撮るような感じでした。ですから、映画は最終的に現実の生活にとても近いものになっています。
ランドン:私が彼らを助けたり、何かをするということは全くありませんでした。私が何かをしてあげないといけないということありませんでした。映画というよりも、本当にその人生を生きている感じで、彼らと接していました。
ランドン:その通りです。プロでない人が何度も芝居を繰り返すと嘘っぽくなってしまう。一方で、プロの俳優は何度も演じているうちにだんだん良くなるんです。素人の方に関しては1〜2回が限度なのかもしれませんね。それ以上繰り返すと、彼らが持っている自然さが失われてしまいます。あくまでも、彼らから自然に出てくるものを映像に残すということです。
ランドン:ほぼ忠実だと思います。クランクインする前に2週間ほどシナリオを自宅で読み込み、研究し、自分の中で覚えたりもしました。ただその後、ステファヌ・ブリゼ監督からシナリオを取り上げられてしまったんです。撮影中はシナリオが手元にない状態で、毎日監督から、翌日行う撮影の指示がメールで送られてきました。翌日撮るシーンの台詞に出てくる機械の名前であったり、ストーリーとして必要な部分の説明があったりという具合でした。私だけではなく、全ての人がそういう情報を前日にメールでもらっていました。まるで、スラロームを行うように「ここに行って、そこからここへ移動して」「この場所ではこんなことを、あの場所ではあんなことを言う」というふうに行程が説明される。そういうやり方でしたが、最終的にはオリジナルのシナリオにとても近いものになりました。つまり、いずれにせよ、やり方は1つしかない。まっすぐ行くしかないということです。
──社会の中のティエリーもですが、家庭における彼の姿も非常に印象深く、家族3人がとても美しいと思いました。彼は2年近く失業しているけれど、夫婦でいがみ合うこともないし、障害のある息子と3人で、互いを慈しみ合って生きています。
ランドン:この家族はとてもセクシーだと思います。とてもモダンで、ロックンロールな家族。現代人より、よっぽど進歩的です。妻は妻の役を務め、夫は夫の役を務め、お互いに尊重し合っています。互いの存在があるからこそ、いろんなことができる。支え合っているんです。彼らは金銭的には貧しいかもしれませんが、心理的な面、感情的な面ではとても豊かな人たちです。彼らの息子もそうです。この家族3人は本当に固く結び付いている。ですから、ティエリーがある決断をする時も、恐らく妻はこの決断に同意してくれるだろうと、彼は確信を持っていたわけです。彼が置かれている状況は、一歩外に出れば戦争状態。でも家に帰ると、そこには平和しかない。そう考えれば、何のリスクもない人生なんです。家に帰れば平和がある。彼にとって最も重要なことは、愛を与え、そして愛を受けるということなんです。与えて受けるのか、受けて与えるのか、それは分からないけれど。ですから、家庭の外で何があっても構わない。仕事に恵まれても家庭で不幸であれば、その人は不幸なんです。また、仕事で不幸であっても家庭で幸せな人。それは成功した人生なんです。一番理想的なのはもちろん、その両方を得ることですが、最悪なのは、そのどちらも得られないことです。
ランドン:私自身、俳優として自分がやりたいと思う映画にしか出ません。高額なギャラでブロックバスターのオファーが来ることもありますが、あくまでも、自分が選んだ映画にしか私は出ません。そうすることで私は自由でいられるし、幸せです。共演したい人がいた時に、そして素晴らしい物語があった時に、一緒に仕事をしたいと思う監督がいた時に、私は映画に出演します。「これを着ろ」「ニューヨークや東京に行って、取材を受けてこい」と言われても、私は自分の意志でやりたいと思った時にしか動きません。「こう言え」と言われても、言わない。自分の言いたいことしか言わないし、映画も出たいものにしか出ない。俳優として、妥協することはしません。あくまでも、私は私なんです。そういうふうに生きるには代償も大きいと思いますが、それをできるのはとても贅沢なことだと思っています。
(text:冨永由紀)
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