1953年9月3日生まれ、フランスのロアンヌ出身。友人のマルク・キャロ共同監督した『デリカテッセン』(91年)で長編デビュー。同作品は同年のフランス国内観客動員数第3位のヒットとなり、セザール賞新人監督作品賞、脚本賞を含む4部門を獲得。同じくキャロと共同監督した『ロスト・チルドレン』(95年)も評判に。ハリウッドからも注目され、『エイリアン4』(97年)の監督に抜擢されるが、ハリウッドの流儀が肌に合わず、その後4年間沈黙。2001年に監督した『アメリ』が大ヒットし、再び世界の脚光を浴びる。その後、『ロング・エンゲージメント』(04年)、『ミックマック』(09年)を監督。隅々までこだわり抜いた独自の世界観でカリスマ的人気を博している。
『天才スピヴェット』ジャン=ピエール・ジュネ監督インタビュー
『アメリ』監督が、ハリウッドへの反発、アン・リーへのライバル心を激白!
10歳の天才科学者スピヴェット君。権威ある科学賞を受賞した彼は、授賞式に出席するために誰にも告げず、たった1人で大陸横断の旅に出る。列車に乗り込んだ彼は、悲しい事故で亡くなってしまった双子の弟の思い出、そして、その死の後にバラバラになってしまった家族への思いを思い返していた……。
本作『天才スピヴェット』は、『アメリ』で日本中を魅了したフランス人監督、ジャン=ピエール・ジュネの待望の最新作。恥ずかしがり屋の彼が、今まで真正面から取り組むことを避けてきた“感情”について描いた作品でもある。美しすぎる風景や弟の死、スピヴェット君、そして両親の悲しみが、見る者の心を震わせる。
そんな“新境地”に挑んだジュネ監督が、本作について語ってくれた。
監督:スピヴェットは、まさに私自身なのです。彼は自分の想像力のおかげで成功し、素晴らしい科学賞を受賞します。そして、自分が注目を浴びているのに気付くと、牧場のなかにある自分の家に帰りたいという気持ちになります。まさに私自身のようです。どんな環境でも決して落ち着くことがありません。学校に行っていたときには、自分はここで何をしているだろうと思っていました。兵役のときのことはどうか話させないでください!
その後のアニメーション映画やフランス映画の製作時でさえ、自分が正しい場所にいるとは思ったことはありません。ハリウッドはさらに最悪です。どこかで落ち着けると感じることは決してないのです。いつも、間違った惑星に到着してしまったと感じています。ニュースを見るたびに、「ここで自分は何をしているんだ? これは間違いだ。最初から間違っているんだ!」と思っています。ただ、うまくいった仕事で私の情熱を共有する人と一緒に仕事をするときだけは落ち着くものです。
監督:前作『ミックマック』(09年)で私は、いかなる感情も拒絶して、よりマンガ的に考えていました。しかし、あれは間違いでした。参考にしていたのはピクサーの映画でしたが、ピクサーの映画には必ず感情があります。感情は個性の問題です。
私はかなりの恥ずかしがり屋なので、自分の気持ちを控えめに、遠回しにしか言わないことがよくあります。しかし、スピヴェットの物語の底辺にはメロドラマが潜んでいて、感情に真っ正面から取り組まざるをえませんでした。たとえ感情について比較的消極的でいようとしてもね。人は持って生まれた性質を変えることはできません!
監督:原作は400ページ以上もあるんです! すべてを脚色するのは不可能でしたが、だからこそ、とても刺激的な作業になりました。まず、我々は主に全体の流れを抜き出しました。そしてサブプロットの多くを省略し、スピヴェットのストーリーに集中しました。さらに物語の中心に弟を入れ、原作の最後ではほとんど存在感のない母親に重要な役割を与えました。大変な作業でしたが、同時にかなり単純な作業でもありました。
作業量は多いですが、楽しみもたくさんありました。我々は原作本には色付けをしました。とても気に入った箇所や、ストーリーに必要不可欠な箇所には赤色で、ある程度気に入った箇所には黄色で、全く気に入らなかった箇所には緑色で色付けしました。ページを切り離し、フォルダーに分類して、それを元に、ある意味ストーリーを再構築しました。ページを混ぜ合わせるのをためらうことは全くありませんでしたね。その後、ギョームと私はじっくりと脚本を書き始めました。それから、ロサンゼルス在住で、私の“前作”『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(12年)を翻訳してくれたフレッド・キャシディーに英語へ翻訳してもらいました。
監督:フロイト的な失言ですね!(笑)でも、あの作品にはかなり関わっていました。最終的なストーリーボードの段階まで関わっていたんです。なので私が撮影したかのような気分なんです! もちろんアン・リー版の映画は見ましたよ。
アン・リー版の中盤は素晴らしかったです。特に、つい3年程前まで我々には不可能だった技術を彼らは使うことができましたからね。コンピューターで作るトラは、当時では夢見る価値もありませんでした。ただ、映画の始まりと終りは、本当の意味での脚色が施されておらず、原作から切り取って貼り付けただけのようなものだと思いました。それに、あの映画は約1億5千万ドルの製作費がかかっていたはずです。間違いなく、アン・リーが熟知する台湾政府からの支援もあったのでしょう。我々は当時、8千万ドルまで予算を下げましたが、フォックスは6千万ドル以上にはしたくなかったようでした。
監督:ええ、そうですね。私の英語は『エイリアン4』の頃と比べると上達して、現場ではもう通訳は必要ありませんでした。それよりも今回、私がかなり重要視したことは「自由」ということです! フランスでは、幸運なことに我々を守り、最終編集権を我々に付与する法律があります。そのため、パリで製作するアメリカ映画を撮るということを考えたんです。撮影はカナダで行い、フランス語を使っていました。
結局、私はアメリカに足を踏み入れませんでした。でも実際には1回だけありましたね。撮影場所を探しているとき、有刺鉄条網が張られた場所に行きました。それは国境線なのですが、私はそれをまたいでしまったんです! シカゴとワシントンD.C.での必要な外観の撮影は第二班撮影隊が行いました。結局、唯一のアメリカ人は、スピヴェット役のカイル・キャトレットだけで、ヘレナ(ボヘム=カーター)はイギリス人、ジュディ(デイヴィス)はオーストラリア人、他の役者は全員カナダ人でした。
ロケについては、最初はインターネットで、それから現場に行ってロケ地探しに奔走しました。ロケハンはかなり大変で、アルバータ州でやっと満足できる場所を見つけ、我々は牧場を建てたんです。牧場の1階部分での出来事はすべてそこで撮りました。扉を開け、田舎の田園風景と山脈が目に入る様子は、それはそれは圧巻でしたね! しかし、それ以外の牧場内のシーンだけでなく、すべての室内シーンはモントリオール、大抵はスタジオで撮影しました。
監督:我々はモントリオール、オタワ、トロント、バンクーバー、ニューヨーク、ロサンゼルス、それにロンドンまで才能を発掘しに行きました。どれだけの子どもたちと会ったか分かりません。しかし、誰ひとり面白い子はいませんでした。私は心配になり始め、『ヒューゴの不思議な発明』でスコセッシの2番目と3番目の候補だった子を確認するように頼むと、キャスティングディレクターのルーシー・ロビタイユは、「あなたはすでに確認して、却下もしている」と言うのです! もうパニック状態でした。
ある日、彼女は私にある子どものテストを見せてくれました。とても小さな子でした、9歳の子ですが、7歳に見えました。しかし、彼には何か感じるものがありました。風変わりで引き込まれる力、唯一無二のものを感じたのです。それがカイルでした。
そのときの私は、「ダメだ。彼はこの役には小さすぎる。スピヴェットは12歳の設定なんだ」といった感じでしたが、カイルのことが頭から離れませんでした。そこで、スカイプで彼とのミィーテングを行いました。彼は大熱弁をふるいました。「必要に応じて泣くことができます。僕はタフで、強いです。7歳以下の武道選手権の世界チャンピオンにもなりました!」と。私は突然、この並外れた子が面白いシーンを完璧に理解していて、適役だと思ったのです。そういった訳で、カナダに到着するや否や、彼をテストするためにニューヨークに向かいました。2日間躊躇しましたが、彼は非常に素晴らしかったので、身長の問題はあっても、彼をスピヴェット役に決めました。
でも、その前日に彼がアメリカのテレビシリーズ『ザ・フォロイング』出演の契約にサインをしたと発表があったのです! 彼のエージェントは、他に出演依頼はないので映画出演は可能だと嘘をついていたわけです。我々は戸惑いましたが、彼があまりにも完璧だったので、諦めることができませんでした。我々はリスクをとり、彼にオファーすることになったんです。
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