1933年8月18日生まれ、フランスのパリ出身。ユダヤ人で幼少期をポーランドで過ごすも、ユダヤ人一斉逮捕の直前に父親の助けを借りて逃げ延びる。だが、父母は連行され、母親はアウシュビッツで虐殺。父親は強制労働させられるも生き延び、終戦後に再会した。俳優を経て1962年に『水の中のナイフ』で監督デビュー。『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)、『チャイナタウン』(74年)などを監督。『戦場のピアニスト』(02年)でアカデミー賞監督賞を受賞。『ゴーストライター』(10年)ではベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞。私生活では69年に妊娠8ヵ月だった妻のシャロン・テートをカルト教団に惨殺される悲劇に見舞われている。また77年には13歳の少女に性的行為をした嫌疑で有罪判決を受けたが、本人はえん罪を主張。
「マゾヒズム」の語源となったマゾッホによる伝説の自伝的長編小説に着想を得た映画『毛皮のヴィーナス』。性愛をテーマに、がさつで厚かましい女優が見せる完璧な演技と、当初は彼女を見下していたものの、次第に翻弄され溺れていく演出家のやりとりを官能的に描き出した作品だ。
監督は、『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)で一世を風靡し、『戦場のピアニスト』(02年)ではアカデミー賞監督賞にも輝いた鬼才ロマン・ポランスキー。80歳にして、妖艶すぎる世界を創り出した監督に、映画について聞いた。
監督:この作品は僕にとって、素晴らしく面白い会話に引き込まれる以上の魅力があった。しかも、長年2人だけの登場人物の作品をやりたいと考えていたんだ。僕の初監督作品『水の中のナイフ』はたった3人の登場人物しかいない映画だった。僕は思ったんだ、今度は登場人物が2人だけの映画をやってみたい、って。それは簡単じゃないことだし、僕には挑戦が必要だった。何か違ったものをやりたかったし、通常の映画より難しいものをやりたかった。空っぽの劇場を舞台にたった2人の俳優の映画を作ることは、まさに挑戦だった。
観客を飽きさせずに、気の緩まない展開をする──このテーマでもある“性”について、そしてきわどく性差別を皮肉る風刺的な内容も好きだった。ヴィーナスの復讐というアイデアは、面白いよ。
監督:ああ、すぐにエマニュエルを思い浮かべたよ。まさに彼女が2つの領域で力量を発揮できるタイプの題材だと思ったからね。ひとつが舞台ということ──彼女は舞台家系出身なんだ。彼女の祖父はルイス・セニエといって、有名なフランスの舞台俳優だ。彼はコメディー・フランセーズ劇団の長老も長年つとめてきた人物で、エマニュエルはそういった資質のもと育てられてきたから、この設定は彼女にぴったりだと思った。同時に彼女は実生活においてもワンダみたいな振る舞いをするんだ。だからとても興味深い組み合わせだと思ったよ(笑)。
監督:話し方が似てるんだ。彼女が使う言葉、単刀直入な物言い。彼女は思ったことをそのまま口にするんだよ。
監督:みんなそう言うね。僕はマチューがパリで『ミュンヘン』の撮影をしていたときに、スティーヴン・スピルバーグを介して初めて彼に会ったんだ。スピルバーグに彼を知っているかと聞かれ、「知らない」と答えたら、「君はここに住んでいるのに、この俳優を知らないのか? 彼は素晴らしいフランス人俳優だよ」って言ったんだ。彼が私にマチューを紹介してくれたとき、マチューがまず最初に言ったことは「ずっとお会いしたいと思っていました。だって僕はよくあなたに間違えられるんです」だった。でも、この映画の写真を見るまではそのことをすっかり忘れていたよ。この映画で「ああ、たしかに彼は私に似ているな」って思ったさ。
監督:いやいや、全くないよ。僕はただ適齢で良い俳優が必要だった、それがマチューだっただけさ。
監督:そうだね、僕は女性がたいていは勝利すると思ってるよ。
監督:いやいや、もしそれに賛同していたら、それをおもしろおかしく受け止めることはできなかったよ。
監督:明らかに性差別主義者だと思うよ。でも、僕がこの映画を監督したからといって、女性解放運動のフィロソフィーを共有しているって意味ではないよ。僕は客観的であろうと努めているし、決して偽善的ではない。僕はいまだ女性に花束を捧げるし、それを間違っていると思わない。
監督:急進的なフェミニストのなかにはそれを性差別だと捉える人もいるよ。アメリカでは、そういった人たちは「actress(女優)」という言葉を使うことを反対しているんだ。女優と言ってはいけないんだ、男性と同様、「actor(俳優)」と言わなくてはならない。僕には理解できないけれどね。ならば、何故ローレンス・オリヴィエを「actress」って言わないんだ? つまり、「彼は素晴らしい女優でした」って。何故、女性が男性の名詞を使わなきゃならないのか、どうしてもっと逆の視点で考えないのか?ってね。
監督:よく見に行くよ。最近の映画を見て、小規模予算で自由にできる、登場人物が2人だけの映画が作りたいって思ったんだ。製作費が小さくなれば、監督としてはより自由を得られる。スタジオの製作者たちから意見も来ない。「ロマン、これは良い脚本だけど、僕らはこう思うよ、云々……」といったね。
今日我々が見る映画は暴力と騒音が満ち溢れていて、その映画を見る前には最も暴力的なシーンを選りすぐって作られた3〜4本の予告編を見ることになる。なぜなら、そういったシーンが人を引きつけると彼らは思っているから。つまり、観客は2〜3分の暴力と騒音と激しい音楽の濃縮──全てのカットで同じ音響効果「シュー!」って音が加えられている!──を見るから、その予告編の後にはとても疲れてフラフラしてしまい、本編を見るエネルギーがもはや無くなってしまうのさ。
監督:ときにはね。編集のサム・オースティーンからは多くを学んだよ。彼と最初にやった映画は『ローズマリーの赤ちゃん』で、ときには素晴らしいショットを使うことを諦めなくてはならないことを教えてくれた。例えそのショットが美しくても、映画自体にそのショットが貢献しないならば、入れる必要はない。その選択はとても難しいことだよ。全力で撮影し、とても素晴らしいショットが撮れて、でもそれが無い方が映画自体は良くなるなんてね。
監督:そう。それもサムから学んだんだ。
監督:この映画の前に脚本を書き始めたんだ。フランス陸軍参謀本部勤務の大尉だったユダヤ人、アルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕された冤罪事件を追求していったジョルジュ・ピカールという中佐がいるんだけど、彼の立場から事件を描いた作品なんだ。
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