1947年生まれ、京都府出身。1967年、GS「ザ・タイガーズ」のベーシストとしてデビュー。1975年、ドラマ『悪魔のようなあいつ』で俳優に転向。映画、テレビで活躍する。主な映画出演作は、『時をかける少女』『お葬式』(共に83年)、『キネマの天地』(86年)、『僕らはみんな生きている』『教祖誕生』『病院で死ぬということ』(全て93年)、『EAST MEETS WEST』(95年)、『八つ墓村』『ビリケン』(共に96年)、『39〜刑法第三十九条』『鮫肌男と桃尻女』(共に99年)、『顔』(00)年、『真夜中まで』(01年)、『ゲロッパ!』(03年)、『フラガール』(06年)、『転々』(07年)、『GSワンダーランド』(08年)、『大阪ハムレット』(09年)、『必死剣鳥刺し』(10年)、『大鹿村騒動記』(11年)、『まほろ駅前多田便利軒』(11年)、『天地明察』(12年)、『少年H』(13年)、『舞妓はレディ』(14年)、『団地』(16年)、『アウトレイジ最終章』(17年)、『鈴木家の嘘』(18年)など。カンヌ国際映画祭審査員グランプリ受賞作『死の棘』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、キネマ旬報主演男優賞を受賞。テレビドラマでは『相棒』シリーズ、『医龍』シリーズ、『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』シリーズなどに出演。
コートにハット、タバコをくわえたハードボイルドな出で立ちで夜な夜な都会のバーに姿を見せる謎の男。伝説のヒットマンと噂されているが、その実像は銃を一度も撃ったことのない作家・市川進だ。若手編集者に呆れられながらも時代遅れの生き方を貫く市川のもとに新たな“依頼”が舞い込み、行きつけのバーに集う元検事の石田と元ミュージカル女優のひかる、そして妻の弥生まで巻き込む騒動が起こる。
阪本順治監督の最新作『一度も撃ってません』は、『半世界』『団地』など監督作に出演してきた石橋蓮司の78歳にして18年ぶりの主演作。ハードボイルドにこだわる老作家の可笑しみ(おかしみ)を演じた石橋と、『団地』でも共演し、今回はヤメ検のエリート・石田を演じた岸部一徳に、阪本監督との仕事、今は亡き盟友・原田芳雄との関係を語ってもらった。
石橋:まず懐かしいなということで。この手の本というのは昔はたくさんあったんです。だけど、今こんな構想、このスタイルの本はあんまり見かけないんで、懐かしいスタイルの本だな、とまず思いました。
岸部:読んで、子どものころというか、昔映画で見た世界を思い出しました。記憶はあるんですけど、それ以降、自分がやっている中で、なかなかこういう作品を見たこともない。誰がやるのかにもよるんでしょうけど、石橋蓮司さんがやるという想定で読むと、成立してるんだなと思って、とにかくちょっと参加したいと思いました。
石橋:そうですか。ありがとうございます。
石橋:最初に阪本のほうから「こういう企画でやってみたいけど、どうだ?」みたいな話があって、もちろん当然のように出なくちゃいけないし(笑)。特に岸部と俺と一緒で、こういう話なんだけど、ということを招かれて説明されてたんで、「どうぞ、おやりください、ぜひ、私も力貸しますから」という感じでした。
こんなことを言うと阪本監督に怒られちゃうんですけど、本より映画になったほうが面白いんです。大体阪本監督の本を読むと「何でこんなものやるんだよ?」という感じなんですけど、映画になるとびっくりするぐらいに現代を言い当てるというか、まさにこれが必要である、という映画になるんです。だから映画作家としての阪本の力というのは、相当なものじゃないかと思ってます。
岸部:従来だと阪本監督からオファーが来る場合、本があって「監督誰ですか?」と聞くと阪本さんだったこともあるんだけど、今回は最初から阪本さんというところから始まっています。最初から言うと、阪本監督、蓮司さんで、というところから始まってるので、やるとかやらないとかじゃなくて、当然参加するということです。これだけ大勢の人たちが集まって「面白いことやろう」ということになるんですけど、面白いだけで終わらさないっていうのが阪本監督です。それを作品に仕上げる力がある。それがなかなか面白い。どうなるんだろう?という感じでしょうか。
岸部:慣れは出ないですね、阪本さんの場合は。
石橋:うん、出ないね。
岸部:僕も何回も出てるんですけど、意外と緊張します。見られる、というか。なあなあで来てるなとか、適当にやってるな、なんてことは絶対に見逃さないタイプで、脚本以上の何かが出てこないと、つまんない俳優だなと思われる。厳しいですよ、そこは。
石橋:そうですね。監督のほうも、こっちになめられないような準備をしてきてますよね。たぶん「おまえたちが考えたこの作品の一つの色というのは、こう思ってるだろうけど、そうじゃないもんね(笑)」というふうな形でやるし。だから現場でのサジェスチョンというんですか、「ちょっとこういうのを入れてくれませんか」というのがなかなかつぼにはまっていて、「なるほど。そういうところでこの人物の色を出したいんだな」と思う。そういう良いサジェスチョンが出てくることは普段あまりないんだけど、監督はそういうの好きですね。最初から準備してたのか何か分かんないけど、その与え方が、タイミングがなかなかいいなと思ってます。
石橋:まず、寛一郎に関しては「この映画が成立するかしないかは、おまえに懸かってる。おまえがこういうバカをつぶしてくれないとリアリティがない。俺を時代遅れのガラケーみたいにしてくれないと、リアリティがないから、頼む」と会うたびに言って、それを見事にあいつはやってくれて。途中で「そうは言ったけど、何だてめえ、この野郎」と腹立つぐらいでしたけど(笑)。我々がこだわってる可笑しさっていうのかな、それに対して「もう要らないんです。そういうとこ直したらいかがですか?」というのが寛一郎君の役です。
佑なんかも面白がり屋だから、それはお父さん(柄本明)との血のつながりもあるし。お父さんとも俺は長くやっていますが、佑は「俺はあの人たちの世界に行って、絶対同じものじゃない土俵をあの中に入れてみせる」という意気込みを持って入ってくるから、すごく素敵でした、やってて。
石橋:そうだね。とにかく決着はつけたいね。ばかにされたままじゃ身もふたもねえよって感じで。そのぐらい見事にやってくれました。ほんとにほっとしてます。
岸部:寛一郎とか佑、彼らが若い世代の代表選手だとすると、ぶつかる機会がないんです。70代の蓮司さんが主演の作品の中で、彼らは今回思い切ってできた。でも普段日常的にいうと、一緒に演じる機会すらない。映画界全体でいうと、本当は70代の人というと大体が普通はおじいさん役で、枯れていって、この辺にぽんと日なたぼっこで置いとく、みたいな映画が多いんです。だけど、そういうことじゃないところで生きてる人がいる。それが今回の役と俳優・石橋蓮司さんという人が一緒になって、そこへ若い人たちが思い切って一回ぶつかる、というのをやっている感じがするんですよね。最近、なかなかそういうのがないので、彼らにとってはものすごくいい機会だったんじゃないかと。貴重な財産になるんじゃないですかね、それ。
岸部:僕は、憧れの石橋蓮司さんですから。
石橋:何言ってんだよ、おまえ(笑)。
岸部:大楠さんもそうだし、桃井さんも含めてこの4人でいうと、僕からすると、出会ったときのこととかいろんなものが重なってきて、今一つになって。こんな幸せなことはないんです、一緒にできるってことが。これがほんとにこの年になって実現してるんですから、阪本さんには感謝しないとな、という気がします。
岸部:僕は蓮司さんとやったときに、この役を通して、石橋蓮司さんっていう俳優さんの本当のすごさとか力を見たいなと思っていたんですけど、今回は、言ってみると、ものすごい二枚目とはこうなんだということ。男の生き方として、二枚目とはこういうことなんだというのが最初から最後まで通されてるんで。そこにまつわり付いていくという立場で言うと、土台の柱がぼーんと一本、見事にそれは通されたんで、そこがすごかったな、まずは。これで全部他が成立してきたという感じがする。
石橋:二枚目なんだって(笑)。
岸部:そういうふうに思うでしょう? 映画を見て「いい男だな」って。
岸部:ジャズです。
石橋:だから、ああいうスタイルで、かっこつけて生きてるわけで。どうしても役者って、そこでつぶしをかけたくなるんです。どっかで蹴っつまずいてやろうとか、やりたがるんだけど、そうすると駄目。今回は、そういうことをやらないことのおかしさのほうがいいかなと。つぶしをかけちゃうと保証しちゃうことになるんで。かっこつけてるだけということの説明になっちゃう。そうじゃなくて、それは結果として「おまえ、こけてるよ」というふうになればいいんで。だから変なとこで小細工を入れない。
岸部:小細工を入れないのがすごい。入れたくなるでしょう、ちょっとは。
石橋:入れたくなるんだよね、どうしても。コップの一つも落としたいし、いろいろやりたくはなるんだけど。「だって手が利かないんだもん、もう」みたいに、やりたがるんだけど、やらないことの滑稽さのほうがいい、みたいなことがあるから。
岸部:可笑しいな。
石橋:だから最初の場面の、一徳と会うあの長いシーンがあるんだけど、あれが俺たちの、何ていうの、ダンディズムの原型だよね。
あそこでシュッてたばこをつけるとか、あれがね。
岸部:あれが、全て。
石橋:ほんとはあそこで失敗してもいいんだよね。あっちっち!とかやりたがる……でも、やらない。
岸部:そこでやっててもね。
石橋:それじゃあ終わりだよな。初っぱなから終わりになっちゃう。
岸部:かっこつけてるのが、また似合うんですよね。
石橋:かっこつけてる。
岸部:かっこつけてる、どうなんだろうって感じで、もう映画終わってるのに、まだ続いてんじゃない。
石橋:全くそうだと思います。ただ、同時代を生きてきた人間で別に全然生き方が重なってないんだけど、俺一人で屹立したときに、俺という人間は果たして成立するんだろうかと。あの時代を一人で生きてきたときに、果たして俺っていうものが、どういう一生でいたんだろうかということが分からないと。だけど、彼を通すことによって、俺はこっちを選んでる、と分かる。職業も違うけど、共有するものがある。一番理解してくれるのがこいつだろうと思っている。
そういう意味では、こいつ自身が俺にとっての他者というか、同じ時代を違うふうに考え、違うふうに生きてきた人間。それでいて、俺なんだよっていうことを言えるということだと思うんだよね。
岸部:原田芳雄さんということを考えたら、芳雄さんがいたらこの映画はできなかったろうなと思うんです、逆に。それでいて、この映画の中のどのシーンにも、バーであれ何であれ、そこに芳雄さんの存在をいつも感じるんです。あの人の持っていた世界みたいなものを、あるいは裏の世界と表の世界のぎりぎりのところを行き来してる人たちの世界を。芳雄さんがそういうものをいつも感じさせてくれる。阪本さんもそうだと思うんですけど、映画全体のどこかに芳雄さんの影みたいなもの、あるいは、そこで生きてる何かを感じながら作っていました。
でも、それを僕らよりも、蓮司さんがそのことを一番感じて、一番よく理解していたんです。芳雄さんとの関係でいうと。だから、そういうものをここで蓮司さんを見ながら、どこかでやっぱり体が感じるっていう、ちょっと面白い現象の映画だったな。不思議な映画になったんじゃないかなと思いました。
石橋:よくこの時代に、こういう映画を作れたもんだよね。ということは、何かがずっと根っこの潜在意識の中に、人間たちがここだけは切り捨てたくないっていうことがあるのかな、と思う。だって、これだけのものを具体的にやるというのは、大変な人たちの考え方が総合的にあるわけなんで。だから、これを今起こそうとした人間たちというのは……たった一人の発想じゃないからね。やっぱり影のプロデューサー原田芳雄が、「おい、こら。そこをぶった切って、急にもっと先行くなよ」と。「ここをまず整理してからじゃねえのか」とに言ってるように感じるわけ。だから、「これですっきりするでしょう」って、「これで整理したんで、さあ、皆さんお好きなところを行きなさい」という感じじゃないかな。変な話になっちゃったけど、ごめん(笑)。
(text:冨永由紀/photo:小川拓洋)
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