『GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生』パスカル・プリッソン監督インタビュー

ケニア在住の94歳のおばあちゃんの奮闘と教育問題を描き出す

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パスカル・プリッソン

ゴゴがよく言うように「学ぶことに年齢は関係ない!」のです

『GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生』
2020年12月25日より全国順次公開
(C)Ladybirds Cinema

3人の子ども、22人の孫、52人のひ孫に恵まれ、ケニアの小さな村で助産師として暮らしてきたプリシラ・ステナイは、みんなから“ゴゴ”(カレンジン語で“おばあちゃん”)と呼ばれる人気者だ。ある時、ゴゴは学齢期のひ孫の娘たちが学校に通っていないことに気づく。自身の幼少期は女の子が学校で勉強することは許されていなかったこともあり、教育の大切さを痛感していた彼女は一念発起。周囲を説得して6人のひ孫娘たちと共に小学校に入学、勉強に励みながら、ついに念願の卒業試験に挑むのだった。

“ゴゴ”こと94歳の小学生の奮闘ぶりを追うのは、『世界の果ての通学路』(12年)のパスカル・プリッソン監督。映画というものさえ知らなかったゴゴをはじめとする出演者と時間をかけて信頼関係を築きあげてリアルな姿をカメラに収めた監督に、本作のきっかけや撮影秘話を聞いた。

・94歳おばあちゃんが小学校の卒業試験にチャレンジ!

──本作のアイデアはどのようにして生まれたのですか?

監督:ナイロビの友人が、世界で最も高齢の小学生であるゴゴに捧げられた地元紙の記事を読んで、私に教えてくれたのです。友人は、私が力強いヒューマニズムの物語を探していることを知っています。すぐに本作のアイデアが頭に浮かびました。プロデューサーにこの話を伝え、ゴゴに会いにケニアへ行きました。彼女の性格や経歴、本物のカリスマ性が気に入りました。ひとつの作品を支えるのに十分な力強いキャラクターだったのです。

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──ゴゴはすぐに出演を了承したのですか?

監督:彼女は映画がどのようなものか知りませんでしたが、この作品が見本となり他の少女たちの就学を奨励できるなら、と了承しました。ゴゴはすべての親が娘たちを学校に行かせるように説得したかったのです。彼女はこの使命のために多くのキャンペーンをして闘いました。若いシングルマザーの問題についても多くの活動をしています。若い女性たちが結婚前に妊娠すると、家族に拒絶されてしまい、学校にも通えなくなります。彼女が寄宿舎の増設のために闘ったのはこの目的からです。学校から遠く離れたところに住んでいる少女たちも寄宿舎に寝泊りできるようになりました。
私は多くの時間を彼女と過ごしました。『世界の果ての通学路』の映像を彼女に見せ、プロセスを説明しました。少人数のスタッフが学校に来ること、彼女が自分自身のままでいること、いつも通りの生活をし、私たちはあまり彼女の邪魔をしないようすることなどです。いずれにせよ、自身の活動を強調するアイデアを彼女は気に入りました。

──ゴゴはどのような暮らしをしているのでしょうか。

監督:彼女はケニアの奥地に住んでいます。貧しい農業地域で、小さな囲い地にそれぞれの家族が1つか2つの畑でとうもろこしを栽培しています。ンダラットは幹線道路沿いの小さな村で、そこに学校があります。この囲い地の間の小道を40分以上かけなければ、ゴゴの家には行けません。その土地を知らなければ、見つけられないのです! 最も近い都市はエルドレッドと呼ばれ、時にはゴゴが大好きなポテトフライを食べるために彼女を連れて行きました。ゴゴはカレンジン族に属しています。非常に長寿の人々で、ゴゴには100歳を超えた2人の兄がいます。

ケニア

──彼女の人生の大きな節目は何だったのでしょうか?

監督:ゴゴは入植者が経営する農場で長い間暮らしていました。その時代、少女たちは学校へ行くことを禁止されていました。畑で働き、牛の世話をしていたのです。彼女は祖母に助産師の仕事を教わり、現在も続けています。村の多くの子どもたちの出産に立ち会い、学校の女性教師が生まれるのも見てきました。もう分娩の立ち会いはしていませんが、妊娠過程を見守って体調をチェックしますし、妊婦たちは彼女に会いに来ます。彼女は3人の息子を授かりました。夫は独立戦争の時に亡くなりました。この作品では彼女の経歴の重要な部分が断片的に分かるようになっています。なぜならばゴゴは自分の人生については多くを語らないからです。まるで彼女が学校に入学した時、本当の人生が始まったかのようです。

──彼女とその家族とはどのように意思の疎通を図りましたか?

監督:この地方では、ほぼすべての人が3つの言語を話します。種族の言語であるカレンジン語、東アフリカの言語であるスワヒリ語、そして少々の英語。ゴゴはカレンジン語しか話せず、学校で他の2言語を学びました。私はスワヒリ語がかなり理解できますし、彼女の周りにいる人たちは英語が話せたので、切り抜けることができました。それにゴゴとの関係は言葉によるものだけではなかったのです。

──撮影はいつ行われましたか?

監督:2018年2月から2019年1月まで15日間ずつ3セッション行いました。校長とゴゴの先生に会い、学年のキーとなる時期を選びました。ゴゴのクラスでの様子や学校がどのように機能しているかなどを見るために、私は多くの時間を費やしました。ここは私立の学校で、校長のサミーは大きな食品会社を経営しています。彼は非常に貧しい家庭の出身でしたが、幼少期に彼が学校に行くのを助けてくれた人がいました。それで自分に与えられたものを地域に還元したいと願っているのです。彼は登録費が非常に安い学校を開設しました。ゴゴにそうしたように、支払いができない生徒たちも彼は受け入れています。 ゴゴには学校に行く術がありませんでした。彼女は娘の家に住んでいます。一頭の牛を飼い、家の近くの畑のとうもろこしを売って生計を立てています。彼らはお金がなく、ほとんど何も持っていない人々です。毎日の通学を避けるために、彼女は現地に寝泊りすることを選びました。女子寮のベッドを希望していましたが、舎監が寝るための小さな部屋が彼女に譲られました。クラスのベンチを共にするひ孫娘のチェプコエチは、彼女の復習の面倒も見ています。
この地方の多くの子どもたちが自宅よりも学校の方が快適に過ごせています。たとえ質素であっても、三度の食事が彼らには保証されています。学校は安らぎの場所です。これほどお互いに対して親切な子どもたちを見たことがありません。彼らは非常に勉強熱心です。就学を続けたければ、クラスで優秀でなければいけません。親は中学以降の授業料を支払うことができないため、奨学金を得ることが進学する唯一の方法だからです。

ケニア

──学校の近くに住んでいるディナは何者ですか?

監督:彼女は校長の家族で、特に食事の面でゴゴの世話をするように頼まれています。彼女たちは非常に親しくなりました。撮影をした年に小さなTVがやってきましたが、ここの住民たちは映画館に行ったことも、本を読んだこともなく、質素で、経済的に不安定な生活をしています。

──脚本には何も書かれていないのでしょうか?

監督:はい。撮影は学校のリズムに合わせました。修学旅行や試験などのスケジュールは知っていました。作品の最後にしか明かされなかったゴゴの視力の問題をはじめ、計画したことは何もありませんでした。学校の日常を捉えたのです。教室に照明を事前に配置し、1台か2台のカメラで撮影しました。授業の最後の10分をやり直すように頼んだことはありましたが、それは別アングルから撮影するためでした。
子どもたちにはカットのつなぎに問題がないように、席を変わらないことと、カメラを見ないようにすることを頼みました。数人は見てしまいましたが、大した問題ではありません。10×10が「100」だと答えて非常に誇らしそうにしているゴゴのカメラ目線はそのままにしました。学校の制服を着た生徒たち全員の姿は最初から視覚に訴える力強さがありました! その真ん中に小さなニットキャップを被ったゴゴがいるのです。
演技はまったくありません。ゴゴが十分に勉強をしていないと女性教師に叱られている場面を見てください。女性教師は彼女に合格して欲しいと本当に願っているので、少しだけ彼女に揺さぶりをかけると私たちに事前に教えてくれました。複数の言葉が混ぜ合わされていたので、必ずしもすべてを理解していなかったのですが、彼女たちの会話を捉えました。いくつかの会話が重要であることを発見したのはパリに戻ってからでした。
フランスのケニア大使館でカレンジン族の青年を紹介してもらい、すべての会話を翻訳し、字幕をつけました。ゴゴには多くのユーモアがあるのを発見し、ディナの性格もより良く理解できました。ディナはその年齢で学校に行って冷やかされることを恐れていたのですが、最終的にゴゴが説得したのです。40時間分のラッシュがあったので編集作業は大変でした。ボイスオーバー(ナレーション)をつけずに会話に沿って編集した作品なので、語り方に一貫性が必要でした。

──ボイスオーバーを使わないことは最初から決めていましたか?

監督:『世界の果ての通学路』以来、私のちょっとしたトレードマークのようになっています。ボイスオーバーを入れ始めると、すべての箇所に入れなくてはなりません。人々が私たちに語っていることを私たち自身から奪ってしまいますし、西洋的な視点も押し付けます。「昔々、ゴゴが…」と寓話のようになってしまうのです。

──修学旅行はとても美しいシークエンスです。

監督:その年によって、ビクトリア湖、もしくはオロオロロ断層崖が印象的な『愛と悲しみの果て』が撮影されたマサイマラ保護区への旅行を学校が計画します。バスで12時間かかります。当初、生徒たちはテントの中でジャングルの音を怖がっていました。ケニアのすべての人が動物を見たことがあると思いがちですが、彼らはライオンもキリンも見たことがありませんでした。ヨーロッパ人がサファリに行く時のように、一つの世界を発見したのです!

女子教育のレベルは、その国の自由と民主主義の度合いを表している

──もう一つの味わい深い時間は、建設業者とのコミカルな場面ですね。

監督:ゴゴが私たちに「工事がどこまで進んでいるか見に行きましょう」と言いました。私は、彼らが何を話し合うのか、誰が工事現場の責任者なのかさえ知りませんでした。私たちは普通にロングショットから始めました。会話の展開が見えてきた時に彼らに休憩をすることを頼み、会話をカットバックで撮影するために手持ちカメラに持ち替えて戻ってきました。この会話はかなり長く続いたので、編集で一部カットしました。カメラの存在がこの場面を変えたとは思いません。それまでに撮影された経験がないので、彼らにとってカメラは何の意味もないのです。

GOGO(ゴゴ) 94歳の小学生

──現在、ゴゴはどうしていますか?

監督:修了証書はもう彼女の目標ではありません。ゴゴは常に学び、お手本でありたいと願っていますが、今のモチベーションは建設されたばかりの小さな診療所にあります。それはモナコ公国が援助したプロジェクトです。私は2年前の「世界子どもの日」にモナコ公国に招待され、『世界の果ての通学路』について話しました。新しい企画を紹介したところ、彼らがゴゴの支援を決めました。この診療所は、家族に拒絶されて学校に通えなくなった若いシングルマザーのための避難所であり、ゴゴが助産師の知識を伝えることができる平和の場所です。彼女は若い娘たちを迎え、指導することを夢見ていました。月曜日から水曜日まで学校に行き、週の他の日は診療所にいます。
本作はかなりのリスクを伴った作品でした。アフリカの小さな村の94歳の主人公に責任を持って深く関わらなければなりませんでした。2つの撮影期間の間に、足に痛みがあったゴゴは病院に行ったこともありました。私たちは不幸が起こらないことを祈りました。しかし作品が進むにつれて、彼女も元気になりました。この冒険が彼女を奮起させたのです。目標を持つことが必要な女性なのです。次の目標は公開のためにフランスに来ることです。彼女はそれしか考えていません!

──あなたにとって大切なのは、出会いだったのですね。

監督:このような力強さを持った人物には毎日出会えるわけではありません。今やゴゴは私の祖母です。彼女は人生を変える特別な経験をしました。私の作品はただの映画ではなく、その後も続いていく人間的な冒険なのです。『世界の果ての通学路』の子どもたちはある団体の援助を受けています。また、私とプロデューサーは『LE GRAND JOUR』(15年)の子どもたちのその後を追っています。彼らは18~20歳の大学生で、定期的に対話をしています。
私たちは社会の役に立てる映画を作っています。子どもたちにとって、学校にいる2人のおばあちゃんたちを見るのは良いことでしょう。世界中の学校では、ますますシニアへの教育が盛んになっています。韓国の小さな村では、若者たちがソウルに移住して過疎化が進んでおり、70歳以上の女性たちが学校に入学することで教師の雇用を維持しています。インドも同様で、青少年期に学校に行くことを禁止されていた女性たちが、高齢になった今、学校に通っています。もしこの作品のおかげで、ケニアの他の少女たちも学校に行けるようになれば、成功したと言えるでしょう。そして、ゴゴがよく言うように「学ぶことに年齢は関係ない!」のです。

ケニア

──最後に監督からメッセージをお願いします。

監督:ゴゴの物語を通して、教育を得るために生涯をかけて闘ってきた女性の奮闘ぶりを見せたいと思います。数ヵ月前、村でゴゴに出会いました。彼女が「あなたの国ではすべての子どもたちが学校に行っているのか」と尋ねるので、「そうです。学校は無料です」と答えました。彼女は微笑み「あなたは素晴らしい国に住んでいる」と言いました。私が15歳で学校をやめたと告白すると、厳しく叱られました…。そして自然のことのようにゴゴに恋したのです!
ゴゴは世界の子どもたち、特に少女たちを学校に行かせない親たちに、教育は財産であることを彼女の村から示したいと望みました。世界ではあまりにも多くの子どもたちが希望のない生活をしており、ゴゴは彼らを導きたかったのです。これまでの作品を撮影しながら、女子の教育のレベルがその国の自由と民主主義の度合いを表していることに気付きました。貧しい国では、誰かひとりを就学させる機会があるならば、男子を選ぶのです。女子は子どもの時から家事に追われ、家族を助けるために働かなければならないか、一人前の女性になる前に結婚させられることすらあります。女子の学校教育は新世紀の重要な課題の一つです。女子の教育が進み、子どもの死亡率と過剰出生率が低下している国では、伝染病の拡大も抑制されています。そして教育を受けた女性は、次に自分の子どもを教育することができるのです。
私は世界中を駆け巡り、人々の現実を被写体との距離感と親密さを織り交ぜながら撮影する映画監督です。登場人物の運命に焦点を当て、人々の人生を変えるような社会問題を扱った作品を作っています。これは、ゴゴのような素晴らしい人間の冒険譚です。私は、教育の奨励に捧げられたその人生の集大成に向けて、付き添っていきたいと願っています。

パスカル・プリッソン
パスカル・プリッソン
Pascal Plisson

自然を題材に、ナショナル・ジオグラフィックやBBCのTVドキュメンタリーを制作。12年間ケニアのマサイ村に通いつめ、世界で初めて部族の映画撮影に成功した『マサイ』(03年)で劇場デビュー。2作目『世界の果ての通学路』(12年)では、教育を受けるための道程で様々な障害に立ち向かう4つの国の子どもたちの勇気と苦難を語り、フランスで150万人以上の観客を動員する大ヒットを記録。2013年セザール賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞し、世界35カ国に配給された。他の作品に、『LE GRAND JOUR』(15年)がある。世界中の教育支援団体と強い絆を築いており、ハンディキャップ・インターナショナルの大使も務めている。