『悪の教典』
真っ暗闇に「三文オペラ」の「モリタート」の軽快な旋律が流れるゾクゾクするような幕開け。これから何が起こるのか、大抵の観客は知っている。人気者の高校教師が生徒たちを殺しまくるのだ。だが、クライマックスのネタが割れているところで、結局それは氷山の一角に過ぎない。観客はその後の2時間余で思い知るだろう。
『海猿』シリーズは記録的な大ヒットを連発し、伊藤英明はその象徴でもある主人公・仙崎をヒロイックに演じてきた。ほかにも硬軟様々な役をこなしているが、個人的にはこれまであまり印象に残らない存在だった。だが、ドンピシャなキャラクターと監督に恵まれると、役者はこうも光るものなのか。
アメリカ仕込みの英語力で「Good, Great, Excellent!」と畳みかけ、最後に「Magnificent」について説明し、授業を盛り上げる教師・蓮実はやたら爽やかだ。彼を慕う生徒たちと会話するときは、シャンプーするように相手の頭をくしゃくしゃにする。それが親しみの表現のようでいて違和感がある。「どうも変だ。何かがおかしい」と蓮実の過去を調べあげていく物理教師の推察通り、蓮実の周囲では自殺者や失踪者が後を絶たない。
蓮実は、他者への共感能力が著しく欠けているサイコパス(反社会性人格障害)という設定だ。ためらわず、気に入らない邪魔者を1人ずつ消していく。従って、自分のことを快楽殺人者だとは思っていない。朝起きてトイレに行くように、お腹が空いたらごはんを食べるように、眠くなったら床につくように、人を殺す。日常茶飯事だから、いちいち悦に入ったりせず、淡々としたものだ。
大人は脅して隷従させ、子どもには理解者面で近づいて手なずけて、最終的にはみんな殺す。
一体、何が彼をこんな悪魔のような人間にしたのか? その説明はない。納得できる理由がないという恐怖。眉ひとつ動かさず、機械のように効率よく手順を踏んでいく姿、接する相手によって微かに変化する表情を伊藤は丁寧に演じていく。細かい演出は40人の生徒役1人1人の個性も描き出す。緊張感が張りつめていくなか、唐突に喜劇的瞬間を作る山田孝之も印象的。深刻な表情を貫きながらの演技はまるでバスター・キートンのようだ。
思わぬことから悪事が発覚しそうになり、それを糊塗するために蓮実は文化祭前夜の校舎内で大量殺りくを始める。必死に逃げまどう生徒たちの「死にたくない」という強い思念が伝わってくる。彼らの生命への執着、その一方で死の危険を顧みずに大好きな相手を探し求め合う純真さは感動的だ。それでも、彼らはどんなに命乞いをしても無慈悲に命を奪われる。世界のどこかで今も起きている光景だ。誰が誰を殺そうと、あるいは理由があろうとなかろうと、人の命を奪うということには変わりない。1人として同じではないその死に様は、逆説的に生命の尊さを描いている。
筆者にとって本作の一番の驚きは、貴志祐介の原作を大胆に脚色した脚本のクレジットが三池崇史その人だったことだ。三池自身が脚本を手がけることは滅多にない。実に伊藤が主演した『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』(07年)以来。それも本作では単独でクレジットされている。ホラー、アクション、コメディに時代劇と、何でもアリの三池作品に通底するのは生命力の絶対性だ。三池はサイコキラーの大暴れを通して、それを描く。
清々しい気分に浸ったり、神妙な気持ちになれるのだけが感動作ではない。凄惨さに胸が悪くなる。絶対に生き残ろうとする生命力の強さに感情がかき乱される。これも感動という形の1つなのだ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『悪の教典』は11月10日より全国公開される。
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