『捨てがたき人々』
ジョージ秋山の“息子”の視点で原作を見つめ直す
人間とは? 生きるとは?を世に問う、気骨溢れる漫画家・ジョージ秋山原作による「捨てがたき人々」が映画化された。大森南朋、三輪ひとみ共演で、社会の片隅で生きる男と女が人生に迷い、もがき苦しみながら生きる姿を赤裸々に描く人間ドラマだ。
・前編/父・ジョージ秋山の原作マンガを映画化した秋山命が語る、父への思い
プロデューサーと脚本をつとめるのは、ジョージ秋山の実子でもある放送作家の秋山命(いのち)氏だ。同じ昭和45年生まれの榊英雄監督と共に映画化することとなり、打ち合わせの場で主人公が作品のテーマである観念的なセリフを叫ぶエンディングの構想を話すと、榊監督から脚本も秋山氏が書くように勧められた。「その“想い”が大切なんだ」と。しかし、秋山氏は舞台脚本の経験はあったものの映画脚本を書いたことはなく、想いが熱く強すぎるあまり、「捨てがたき人々」の映画化脚本の第1稿は通常の倍以上はある180ページとなり、榊監督を呆れさせた。そこから、脚本をそぎ落として磨き上げる作業が始まった。
原作では登場人物たちを俯瞰したような目線で語られる哲学的で観念的なナレーションや、主人公の独白が多い。当初はそれを盛り込んだため脚本は180ページとなったわけだが、榊監督と共に、あるいは秋山氏が独りで脚本を煮詰めていく作業の過程で、ひとつの視点が見えてきた。
俯瞰している目線は父親・ジョージ秋山の目線であり、自分がその目線で書くべきではないし、書くことはできないと秋山氏は思ったのだ。それは作者のオリジナルであり、同じ舞台に立つことはできない、もしも父親と同じ目線で描くとしたら、父親が現役を引退するか、あるいはこの世から去ったときだ、と。しかし、自分は父親に育てられた人間であり、彼の思想感のなかで成長してきた。そんな思索の末、見守られてきた男としての一人称的な目線で物語を描いていこうと秋山氏は思い立ったという。
なるほど、原作では主人公をひとりの人間として俯瞰した哲学論が語られるが、映画版ではその描写はなく、主人公たちの目線でリアルな肌触りのドラマが繰り広げられてゆく。筆者は映画版のドラマに感情移入し、涙が止まらなくなったのだが、その一人称の目線で描かれた要素も大きいだろう。
ところで、実際のジョージ秋山も原作のような観念的な説法とでもいうべき話を普段からよくしゃべり、自分のことは的確に冷静に見ていると秋山氏はいう。悩みがあるときに、「悩みがあるんだろ?」と図星を指されることがあるなど、すべてを見透かされている感覚なのだとか。
ちなみに秋山氏の“命”という印象的な名前はジョージ秋山の作品が由来となっている。マンガ「アシュラ」の企画段階で、主人公・アシュラが戒名として授けられる予定の名前だったのだ。周囲から「“命”を大事にしなさいという意味でつけたのでしょう?」と言われることもあるそうだが、違うと感じた秋山氏が父親に「人生は地獄だから命懸けで生きろって意味でしょ?」と聞くと一言「そう」と返ってきたのだとか。“命”というストレートな名前を重たく感じないのかと思ってしまうが、秋山氏はそれを否定する。それどころか大変気に入ってる、とも。
いわゆる“父親と息子の葛藤”はないのだろうか? 秋山氏は「葛藤……? うーん、父親を超えてやろうとか、まったく思わないですね」という。ジョージ秋山は独自の道を行く人であり、超える超えないの対象ではないのだ。とは言え、日常では父親にムカつくこともあるからいろいろと口答えはしてますけどね、と秋山氏は笑った。…後編へ続く(文:入江奈々/ライター)
『捨てがたき人々』は全国順次公開中。
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