●本音しか語られない宮崎駿監督の引退作
発売されたばかりのBlu-rayで『風立ちぬ』を見ながら、改めて「これを作っちゃったら引退するしかないよなぁ」と思った。黒澤明監督の『まあだだよ』に本作を重ね合わせる声が多いことには共感できる。“アニメーションは子どものたのにある”という建前(とあえて言わせてもらいます)をついに取っ払い、自己の作家性を追究したわけだから、いままでの宮崎作品とは明らかに質が違う。その点で確かに『風立ちぬ』は『まあだだよ』に通じる作品ではあるけれども、個人的にはジョン・レノンのアルバム『ジョンの魂』を思い出したりもした。
・『攻殻機動隊ARISE』を引き立てるショーン・レノンの歌声、コーネリアスの音楽
『ジョンの魂』は、ジョンの実質的なソロデビュー作品であり、自分にとっての矛盾やトラウマ、ビートルズへの思いを赤裸々に綴った、言わずと知れた名盤だ。その“さらけ出しっぷり”において、僕は『風立ちぬ』にも同質の私小説的なものを感じたのだが(前者は初作、後者は最終作という違いはあるけど)、堀越二郎という実在した人物を主人公に、脚色を加えた伝記という形を取っているため、宮崎監督のさらけ出しかたはジョンのそれより、もっと技巧的に思える。丸裸ではなくて、ちゃんとパンツを履いている。
技巧的ではあるけれども、その表現はいつになく無愛想だ。戦争は大嫌いなのに戦闘機は大好き、といった自己矛盾に落とし前をつけるのではなく、それをそのまま提示するだけ。「当然知ってるよね?」と言わんばかりに『ファウスト』や『神曲』、『魔の山』といったアカデミックなモチーフをバンバン使う。これまでの宮崎作品に比べると明らかに観客を突き放しているようにも感じるが、本音しか語っていないという意味では、どの作品よりも誠実と言える。作品に横溢する“俺って実はこういうヤツなんだよ”的な主張には、涙を流すのとは違う種類の感動がある。こういう書きかたをすると、「で、お前は結局『風立ちぬ』が好きなの? 嫌いなの?」と聞かれるかもしれないけれど、答えは「大好き!」である。古希を過ぎたおじいさんが作ったとは思えない、ある意味での青さとか懐の狭さ、それに残酷さを、これからも反芻していきたいと思います。
●多方面からの猛反発を浴び
カスタマーレビューは大荒れ状態
それはそれとして。発売延期になっていたBlu-ray/DVDボックス・セット『宮崎駿監督作品集』も、いよいよ明日、7月2日に発売される。1979年の劇場初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』から『風立ちぬ』までの長編11作品に、特典ディスク2枚を加えた13枚組。先に書いたように『風立ちぬ』はすでに単独発売されているし、発売延期の原因になったCHAGE and ASKAのプロモーション・フィルム『On Your Mark』(特典ディスクに収録が予定されていた作品。詳細は、「作品は誰のもの? 宮崎駿×チャゲアス『On Your Mark』を巡る騒動で感じたこと」の拙稿をご一読ください)は、やはり収録されていない。事実上初の監督作品『ユキの太陽』のパイロットフィルムと、絵コンテを手がけた『赤胴鈴之助』の3話分、そして昨年9月6日に開かれた引退会見のノーカット版というのが特典映像のすべてとなる。『On Your Mark』目当てにこの『作品集』の発売を待っていた宮崎/ジブリファン、チャゲアスファンからは当然のごとく猛反発を浴びて、某巨大通販サイトのカスタマーレビューも荒れに荒れている。
ただ、僕もこの『作品集』の現物はまだ入手できていないので突っ込んだことは言えないけれど、その仕様を見るに、“まったく買う価値のないブツ”と言い切るのはもったいない。資料性や希少性を求めるファンにとっては確かに物足りないところもあるが、作品そのもののクォリティアップを目指した、細かく丁寧なチューンナップが施されているようだ。
●モノラルに回帰した挑戦的な音声仕様
特にBlu-rayに関して言えば、既発の通常版では片面2層/50GBの容量のディスクに、本編のほか絵コンテや予告、舞台挨拶といった特典映像が詰め込まれているのに対して、今回の各作品のディスクには本編しか収録されていない。つまり、特典映像を省いて本編により多くのデータ量を割り当てることで、映像と音のクォリティの向上を図っているのだ。加えて、Blu-rayでは、映像の階調表現を拡張する「MGVC(マスター・グレード・ビデオ・コーディング)」という新技術が採用されており(『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』の4作は除く)、対応プレーヤーを使うことでその効果を享受できる。MGVCについては、まだまだユーザーの視聴環境を選ぶマニアックな仕様だが、ディスクの容量を本編のためだけに使うメリットは、過去のさまざまなBlu-rayやDVDのリリース事例を見れば明らか。宮崎監督の作品を現時点最高のクォリティで手元に残したい、と考える人には見逃せないアイテムと言えそうだ。
最後にもうひとつ『風立ちぬ』について。あまり触れられないのが不思議だけれど、『風立ちぬ』の音声はモノラルで収録されている。多くの映画作品のBlu-ray/DVDがステレオ以上、5.1chや7.1chといったサラウンド音声で収録されている現代にあって、これはなかなか挑戦的な仕様だ。宮崎監督にとって、モノラルは長編監督デビュー作である『カリオストロの城』以来。つまり、監督としてのキャリアがモノラルで始まり、ステレオやサラウンドの時期を経て、最後には再びモノラルに回帰したことになる。そんな些細なところにも、宮崎駿という人の、監督としての業の深さを感じないではいられない。(文:伊藤隆剛/ライター)
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