『悪童日記』
戦時下に過酷な体験をする子どもという題材は小説でも映画でも何度となく取り上げられてきた。アゴタ・クリストフの小説「悪童日記」は、ヨーロッパのどこかの国で戦争が起き、祖母の家に預けられた双子の少年が書き綴った日記の体裁で物語が展開する。1986年に発表され、日本でも静かなブームを呼んだ同作が27年の時を経て映画化された。
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主人公の双子の少年は「大きな町」から母に連れられ、「小さな町」に暮らす母方の祖母の家に預けられる。「魔女」と恐れられる祖母は徹底した“働かざる者、食うべからず”主義で、双子たちにも労働を強いる。それまで両親の愛情を一身に浴びてきた兄弟は、憎悪や裏切りに満ちた残酷な現実と対峙して生き抜く術を学び取るたび、父から与えられた大きなノートに書き記していく。
クリストフはハンガリー人だが、スイスのフランス語圏に移住した彼女はフランス語で原作を執筆している。平易な文体なので、持って回った表現など皆無。初級フランス語学習者でも読みこなせるのだが、それゆえにむき出しの生々しさがあり、独特のインパクトを与える。母語ではない言葉でたどたどしく語る「ぼくら」の物語。それが原作小説の醍醐味なのだが、今回の映画化はクリストフの母国・ハンガリーでなされ、使用言語も当然ハンガリー語だ。原作の描写と異なる巨体の祖母のモンスターぶりに圧倒され、そして何と言っても険しい目つきで大人たちを見据える美しい双子に魅了される。聖書と辞書を教科書に、矛盾だらけの社会に揉まれ、彼らは無垢で冷血な魂を持つ悪童に成長する。
原作の精神を守りつつ、注意深くエピソードを取捨選択したのは演劇界でも活躍するヤーノシュ・サース監督。そして特筆すべきは、暴力も性も欲も子どもの目を通して見たそのままを映像にしてみせる撮影監督のセンス。『白いリボン』などミヒャエル・ハネケ作品で知られるクリスティアン・ベルガーだ。きれいなものが内包している醜さ、汚いものに隠された美。それは戦争という非常時だから見えるのか、そうでなくても常に存在しているのか。知らずに済んだかもしれないものに接して咀嚼し、自分たちなりの正義や哲学を得ていく。
生命力の強さを感じさせる双子を演じたのはハンガリーの貧しい地域に暮らしていた素人の14歳(製作時)の兄弟。厳しい肉体労働が日常という環境にいたという。実を言うと、冒頭にちょっとだけ描かれる両親との幸せな生活のシーンの彼らには借りてきた猫のような違和感がある。おそらく2人にとって最もリアリティの感じられない場面だったのではないか。これ以上にない適役のキャストが抱える現実にもまた胸を突かれる。静かに後をひく問題作だ。(文:冨永由紀/映画ライター)
『悪童日記』はTOHOシネマズ シャンテほかにて公開中。
冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。
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