【週末シネマ】自分自身でいる幸福を追い求めた女性、ダイアナを描いた寓話

“実際の悲劇に基づく寓話”『スペンサー ダイアナの決意』

【週末シネマ】今年没後25年を迎え、今も多くの人々に愛されるダイアナ元皇太子妃。現在のイギリス国王チャールズ3世と結婚して2児をもうけるも離婚し、その翌年に交通事故で亡くなった彼女の物語『スペンサー ダイアナの決意』は「実際の悲劇に基づく寓話（A fable from a true tragedy）」という言葉から始まる。

・【週末シネマ】死と向き合う一つの姿勢を提示、余命わずかの息子と母を描いた良作

描かれるのは1991年のクリスマス休暇の3日間。エリザベス女王夫妻をはじめ、ロイヤル・ファミリーが一堂に会する女王の私邸、サンドリンガム・ハウスが舞台だ。ダイアナ妃がチャールズ皇太子（当時）と結婚して10年が過ぎ、ウィリアム王子とヘンリー王子という息子2人もいるが、その結婚は破綻寸前だった。

孤立を深め、自らをアン・ブーリンと重ねて

夫との冷え切った関係に加えて、容赦ないパパラッチの攻勢、個人の感情より格式を重んじる王室の風習に押しつぶされそうになっているダイアナ妃は、全てを自らへの非難と敵意としか感じ取れず、遅刻や食事の席の中座などを繰り返し、孤立を深めていく

心を許せる衣装係のマギーやシェフのダレンには、まるで親友に接するかのように無防備に心の内をさらけ出し、自身の境遇をヘンリー8世の王妃アン・ブーリンと重ねた妄想に苛まれ、自らを傷つけていく姿は痛々しい。ダレンが働く厨房に掲げられた「物音は最小限に。彼らに聞こえる（KEEP NOISE TO A MINIMUM THEY CAN HEAR YOU）」の注意書きは、もちろんそこで働く人々への言葉だが、ダイアナを苦しめた抑圧的な空気を象徴する響きがある。

クリステン・スチュワートの繊細な名演が光る

主演のクリステン・スチュワートの顔立ちはダイアナ妃とはそれほど似ていないが、ヘアスタイルと身のこなし、口調は特徴をよくとらえている。かといって、似せようとする物真似ではなく、ダイアナ妃という人物を“演じて”いる。繊細な名演は、実在の人々が登場しながらフィクションである本作に特有の真実味をもたらしている。

あの時、サンドリンガム・ハウスで実際にどんなことが起きていたのか。それは一般に知られることのない部分であり、監督のパブロ・ララインも本編中の主人公の葛藤の多くについて「私たちの想像あるいは推測によるもの」と明言している。その1つ1つが、ダイアナ妃という立場に寄り添うものになっている。例えば息子2人とゲームに興じるシーンは俳優たちが即興で演じた100%のフィクションだ。事実そのものではないが、作り手側が理解した真実がそこにある。子役出身であるスチュワートは恐らく、息子役の少年2人の立場や心境の大いなる理解者だったはず。彼らに向ける優しさがダイアナ妃の息子たちへの愛情という形になり、親子を演じた3人のコラボレーションが素晴らしく、純粋な美しさがある。

実在の人物をヒントに作られた架空の衣装係マギー役にサリー・ホーキンス、しきたりを重視し、ダイアナ妃を精神的に追いつめるグレゴリー少佐役にティモシー・スポール、と実力ある名優の助演も素晴らしい。

鮮やか過ぎない、冬の風景を作り出すのに大きな役割を果たしたのは、撮影をデジタルではなくフィルムで行うという選択だ。セリーヌ・シアマ監督の『燃ゆる女の肖像』などのクレア・マトンの撮影は“寓話”と呼ぶにふさわしい世界を画面に映し出す。

3日間の中にダイアナ妃の生き方を集約した監督の手腕

偶像的な女性の悲劇をフィクションで描くという点で、マリリン・モンローを扱った『ブロンド』（Netflix）も脳裏をよぎる。ダイアナ妃とモンローには、金髪で若くて綺麗で物知らずだと思われ、大衆から熱狂的に愛されたという共通点があり、『スペンサー～』の劇中にはダグラス・カークランドが撮影したベッドの上のモンローの姿を思わせるショットもある。ただ、本作と『ブロンド』の違いの1つは主人公の生涯における特定の時間に絞った描き方であることだ。これはラライン監督の前作『ジャッキー／ファーストレディ 最後の使命』（16年）と同じアプローチであり、3日間という短い時間と簡潔なストーリーの中にダイアナ妃の生き方が集約されている。

3日間でダイアナがたどり着く結論が『スペンサー ダイアナの決意』という寓話の教訓だ。それがどれほど儚く淡いものでも、自分自身でいる幸福をあきらめずに追い求めた女性がラストで見せる表情は忘れられない。

母と息子たちのドライブで、マイク＋ザ・メカニックスの「All I Need Is A Miracle」がカーステレオから流れ、3人が歌う。80年代のヒット曲だが、これまで歌詞は気に留めずに聞き流していた。改めて歌詞を読み、本作のストーリーに当てはめながら、誰が誰に向けての内容なのかを想像すると、選曲のセンスに感嘆した。（文：冨永由紀／映画ライター）

『スペンサー ダイアナの決意』は10月14日より公開中。