(…前編より続く)ミュージシャンが主役となれば、重要になってくるのはその音楽だ。アル・パチーノの演じるダニー・コリンズは「ヘイ・ベイビードール」という大昔のヒット曲のおかげで、現在もコンサートでそれだけ歌っていれば贅沢な暮らしが約束されている。そんな大ヒット曲であるからには、実際にその曲が多くの人の心を掴むものでなければ映画にも説得力がない。キーラン・グリビン&グレッグ・エイガーのコンビで書かれたこの曲は、一度聴いたら忘れられないキャッチーなメロディと、ダニーのユーモラスなダンス、コール&レスポンスで聴衆も参加できる親しみやすさが一体となった楽曲で、まるで60年代のオールディーズのような普遍的な魅力を備えている。キーラン・グリビンは、マドンナの楽曲を手がけたことなどでも知られるシンガー・ソングライターだ。
・【映画を聴く】(前編)アル・パチーノの枯れた歌声が新鮮! 『Dearダニー 君へのうた』
また、ダニーがジョン・レノンの手紙に触発されて30年ぶりに書き上げる新曲「ドント・ルック・ダウン」は、本作全体の音楽製作を担当しているプロデューサー、ドン・ウォズと、日本でもその名がよく知られる人気シンガー・ソングライター、ライアン・アダムスによる共作。「ヘイ・ベイビードール」とは対照的に、どこまでもパーソナルで静謐なバラードだが、アル・パチーノはダニーの“枯れた魅力”を最大限に引き出すべくこの曲を歌い込み、ボブ・ディランのように嗄れた声で独白のような歌を聴かせる。曲調は異なるが、第二の人生をスタートさせる気持ちが込められているという意味では、ジョンの「スターティング・オーヴァー」にも通じるところのある名曲だ。
アル・パチーノが初めてミュージシャンを演じることが話題になっている本作だが、実は2013年のTV映画『Phil Spector』(日本未公開)で、彼は音楽プロデューサーのフィル・スペクターを演じている。60年代を中心に、誰もが聴き覚えのあるロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」やライチャス・ブラザーズ「アンチェインド・メロディ」といったヒット曲を手がけ、“ウォール・オブ・サウンド(音の壁)”と呼ばれる重厚なサウンドを作り上げたレジェンドだ。70年代にはビートルズやジョン・レノンのプロデュースで第一線に返り咲いたが、音楽的業績と同じくらいの奇行の数々で知られ、2003年には女優の射殺容疑で逮捕。2009年に有罪判決を受け、現在もカリフォルニア州立刑務所で服役している。ミュージシャンではないものの、それに近い人物を演じたことで、彼自身もダニーという役に積極的に入り込む下地ができたのは間違いないだろう。
かつてジョンをも虜にした伝説の音楽プロデューサーと、そのジョンの言葉をきっかけに再起をはかる熟年ミュージシャン。奇しくもそんな2つの役柄を続けて演じることになったアル・パチーノは、とりわけ本作では75歳とは思えないフレッシュな演技を見せてくれる。冒頭でダニーが「ヘイ・ベイビードール」を歌って大会場の観客を沸かせるシーン。これはLAのグリーク・シアターで行なわれたロックバンド、シカゴの実際の公演の合間を使って撮影されたものだという。ここでの彼の堂に入った歌声や立ち居振る舞い、聴衆とのやり取りを見ると、もっと早くからこんな役を演じてほしかったと思わずにはいられない。ジェフ・ブリッジスが落ちぶれたカントリー・シンガーを演じた『クレイジー・ハート』にどこか通じるような、ベテランおやじの底力が全開の良作だ。(文:伊藤隆剛/ライター)
伊藤 隆剛(いとう りゅうごう)
ライター時々エディター。出版社、広告制作会社を経て、2013年よりフリー。ボブ・ディランの饒舌さ、モータウンの品質安定ぶり、ジョージ・ハリスンの趣味性、モーズ・アリソンの脱力加減、細野晴臣の来る者を拒まない寛容さ、大瀧詠一の大きな史観、ハーマンズ・ハーミッツの脳天気さ、アズテック・カメラの青さ、渋谷系の節操のなさ、スチャダラパーの“それってどうなの?”的視点を糧に、音楽/映画/オーディオビジュアル/ライフスタイル/書籍にまつわる記事を日々専門誌やウェブサイトに寄稿している。1973年生まれ。名古屋在住。
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