(…前編より続く)ところでPKNの4人は、どうして自己表現の手段としてバンドをやろうと思ったのか。音楽的な原体験はどんなものだったのか。もともとどんな音楽が好きだったのか。本作では制作上の意図なのか(もしくは監督が音楽そのものに関心がないのか)、そういったことに劇中でまったく触れられていない。そういう細かいことを気にしないことこそがパンクだと言われそうな気もするが、個人的にはそのあたりがちょっと気になったりする。
・本当のパンクってこういうこと!? 知的障害者たちのバンド活動を描く『パンク・シンドローム』/前編
ウェブサイトや資料を見てみると、リーダー格のペルッティは「ABBAの曲をオペラに編曲したり、クリスマスキャロルを子どもの歌やビートルズ調に編曲するなど、どんな曲でも編曲できるプロ」とされているのに、映画のなかで彼のそんな音楽的スキルがフォーカスされているわけでもない。あくまでも“知的障害を持つ4人がパンク・バンドをやっています”、“そのバンドはこんな曲を歌っています”という事実を記録するに留まっている。本作を音楽映画として見た場合、もしかしたらそこに食い足らなさを感じる人がいるかもしれない。
それはそれとして、バンドは2010年に別のパンク・バンドとのスプリット・シングルによってレコード・デビューした後、2011年にはマキシ・シングル、2012年にはアルバムをリリース。ドイツやノルウェー、イギリスでのツアーを成功させるなど、着実に人気を上げている。日本でも本作が公開されることで、彼らにいくらか注目が集まるだろう。彼らの音楽には“知的障害者がやっているパンク・バンド”という好奇心のみによって消費されることのない、本当の意味でのパンク・スピリットが宿っている。その一端を感じ取れるというだけでも、劇場に足を運ぶ価値のある映画だ。(文:伊藤隆剛/ライター)
『パンク・シンドローム』は1月17日より全国順次公開中。
伊藤 隆剛(いとう りゅうごう)
ライター時々エディター。出版社、広告制作会社を経て、2013年よりフリー。ボブ・ディランの饒舌さ、モータウンの品質安定ぶり、ジョージ・ハリスンの趣味性、モーズ・アリソンの脱力加減、細野晴臣の来る者を拒まない寛容さ、大瀧詠一の大きな史観、ハーマンズ・ハーミッツの脳天気さ、アズテック・カメラの青さ、渋谷系の節操のなさ、スチャダラパーの“それってどうなの?”的視点を糧に、音楽/映画/オーディオビジュアル/ライフスタイル/書籍にまつわる記事を日々専門誌やウェブサイトに寄稿している。1973年生まれ。名古屋在住。
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