【映画業界研究】30年余りに渡ってヒットを生み出し続ける角川春樹の映画への情熱

角川春樹(Kadokawa Haruki)……1942年生まれ。65年に角川書店入社。75年に父・源義の死去に伴い、角川書店社長に就任。翌76年に旧角川春樹事務所を設立し、映像と出版のメディアミックス戦略の先駆者として『犬神家の一族』(76)をはじめ、数々のヒット作を生み出す。また、82年に『汚れた英雄』で初監督を務めると、以降、『笑う警官』までで7作を監督。近年は『男たちの大和』などの大作映画を手がける。
角川春樹(Kadokawa Haruki)……1942年生まれ。65年に角川書店入社。75年に父・源義の死去に伴い、角川書店社長に就任。翌76年に旧角川春樹事務所を設立し、映像と出版のメディアミックス戦略の先駆者として『犬神家の一族』(76)をはじめ、数々のヒット作を生み出す。また、82年に『汚れた英雄』で初監督を務めると、以降、『笑う警官』までで7作を監督。近年は『男たちの大和』などの大作映画を手がける。
角川春樹(Kadokawa Haruki)……1942年生まれ。65年に角川書店入社。75年に父・源義の死去に伴い、角川書店社長に就任。翌76年に旧角川春樹事務所を設立し、映像と出版のメディアミックス戦略の先駆者として『犬神家の一族』(76)をはじめ、数々のヒット作を生み出す。また、82年に『汚れた英雄』で初監督を務めると、以降、『笑う警官』までで7作を監督。近年は『男たちの大和』などの大作映画を手がける。
『笑う警官』
監督:角川春樹/出演:大森南朋、松雪泰子、宮迫博之、大友康平/配給:東映/11月14日より丸の内TOEI 1ほかにて全国公開
(C)「笑う警官」製作委員会
『笑う警官』記者会見
第22回東京国際映画祭特別招待作品『笑う警官』の記者会見。写真左から、角川春樹(製作・監督・脚本)、宮迫博之、大森南朋、松雪泰子、佐々木譲(原作)
『笑う警官』撮影現場会見
2008年10月8日に東映撮影所で行われた撮影現場会見。写真前列左より、忍成修吾、松雪泰子、大森南朋、宮迫博之。後列左より、角川春樹、伊藤明賢、螢雪次朗 、野村祐人、大友康平

1970年代に『犬神家の一族』『人間の証明』などの映画を立て続けに企画・製作。「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチフレーズを打ち出し、映画と原作本を相乗効果でヒットに導くメディアミックスを展開、一躍、時の人となった角川春樹氏。その勢いは1980年代に入ると、さらに増し、『セーラー服と機関銃』や『時をかける少女』(83年版)などの映画が大ヒット。主演の薬師丸ひろ子、原田知世らはトップスターとなり、角川映画も不動の地位を築いていく。

また、1982年には『汚れた英雄』で角川氏自らが監督デビュー。監督4作目の『天と地と』は、カナダで撮影された川中島の合戦シーンのスペクタクルな映像も話題を呼び、この年の邦画NO.1ヒットを記録した。

そんな角川氏が、メジャー映画としては『REX 恐竜物語』以来15年ぶり、単館系も含めると『時をかける少女』(97年版)以来12年ぶりにメガホンを取ったのが『笑う警官』だ。その間、同氏は、逮捕、服役といった想定外の出来事にも遭遇。だが、そこで折れることなく、仮出所後の2005年には『男たちの大和/YAMATO』を製作し、見事に映画界に返り咲く。その角川氏に、久々の監督作となった『笑う警官』の裏話と、復帰作『男たちの大和』を作るまでの道のりについて振り返ってもらった。

クランクイン3週間前に“代打”で監督復帰

──まずは、『笑う警官』を映画化するまでの経緯を教えてください。
角川:原作は佐々木譲さんが書いた「道警シリーズ」の1作目『笑う警官』(ハルキ文庫)で、これは2002年に北海道警察で実際に起こった、組織ぐるみの汚職事件がベースになっています。道警は1人の警部の問題として処理しましたが、実際は道警のキャリアも絡んでいた。何が起こっていたかというと、捜査報償費が現場に下りず、全部裏金化されていたわけです。この本が出版されると「このミステリーがすごい!」でもトップ10に入る人気となり、映画会社や監督から、映画やドラマにしたいという話が来ました。ですが、角川春樹事務所は出版社であると同時に映画会社でもあるので、これは製作者・角川春樹としてやろうと考えたんです。

──12年ぶりの監督復帰。昨年10月に東映撮影所で行われた記者会見では「警察モノとなると、私以外には撮れない。逮捕された経験があって……」と話していましたが、監督復帰した本当の理由は?
角川:実は、監督をすると決めたのは、クランクインの3週間前。その時点で別の監督はいたものの、血しぶきが飛んだり、銃撃戦があったりで、製作現場からは「このまま進むと、(暴力的で)R指定になってしまう」という話が上がってきたんです。R指定になると、どうしても公開規模が小さくなり、製作費の回収が見込めなくなる。それに、自分としては最初から、この映画を『L.A.コンフィデンシャル』のようなスタイリッシュな映画にしたいと思っていたので、何とかしなければという思いもありました。
 残された選択肢は、止めるか、続行するかの2つに1つ。止めた場合も、スタッフの解散や、キャストに払う違約金などでお金がかかる。一旦、止めて、再度、仕切り直す手もあるものの、1度流れた企画を、もう1度仕切り直すのは難しい。かといって、クランクインまで3週間しかない中で、シナリオを書き直し、ロケハンをし、降りてしまった役者の補充をし、衣装合わせもやるとなると、そう簡単ではない。ただ、そういう逆境にメチャクチャ強いのが自分なんですね。それで、任せなさいと。

──そこから3週間で仕切り直した?
角川:ロケハンをし、シナリオを書きながら、キャストに稽古に来てもらって。こちらは、1人ひとりがどこまでできるかを測り、向こうは向こうで演出家の力量を測るわけですよね。ただ、クランクイン後も毎日、セリフが変わっていきました。明日撮るシーンを、前日の晩に書き直し、本番当日に「おい、セリフが変わったからな」と言って渡す(笑)。そんな毎日でした。

──それでは、役者が音を上げたのでは?
角川:こういう演出だと思ったでしょうね。初日なんか、マイクが仕込んであるのを役者が気づかずに「変わった演出だよな」と言っているのが聞こえてきて(笑)。だからこっちも、「変わってねえぞ」って言ったら、「えっ、聞こえてたんですか」って。そりゃ、マイクがあるんだから聞こえるよ(笑)。

──12年ぶりの監督復帰は、どんな感じでしたか?
角川:撮っている時は、まるで昨日まで別の現場にいたんじゃないかって思えるくらい自然でしたね。何にも悩まないし。プロデューサーとして1番困るのは、演出家が現場で悩むことなんですが、自分にはそれがまったくないので。

──役者としても、ヤクザの親分役で出演しています。
角川:あれは、ある大物俳優が演じる予定だったのが、「今さら東映のヤクザ映画みたいな役をやるなら、ローリングタイトル(エンドロール)に入れないでくれ」と言われたことが発端。それじゃあ、何のために起用したのかわからない。そしたら、現場から「だったら、監督が出てください」という声が上がったので、「わかった」と、自前の衣装で出ることにしたんです(笑)。

『男たちの大和』で奇跡の復活

今回のインタビューで、『笑う警官』の話と共に聞きたかったのが、角川氏の見事な復活劇の背景だ。冒頭でも触れたように、同氏は1度、向精神薬取締法と関税法違反の容疑で逮捕。起訴された上、実刑が確定し、2年5か月の服役生活を余儀なくされていた。仮出所したのは2004年4月8日のこと。それから、わずか4か月後の8月9日に『男たちの大和/YAMATO』の企画発表会見が開かれる。

その席で角川氏は、記者席に向かって「ほとんどの資金は私個人が負担しております」と、この映画にかける思いを語り始めた。それが伝わってか『男たちの大和』は、2005年12月17日に公開されるや、中高年を中心に人気を博し、興収51億円の大ヒットを記録することとなる。

──そもそも、『男たちの大和』はどういう経緯で作ることになったのでしょう?
角川:刑務所にいるときに、(『男たちの大和』の原作者でもある)姉からの手紙で「東映の坂上順(すなお)常務がこの作品を映画化したいというので食事をした」とは聞いていたんです。自分の場合、お返しと仕返しはお早めにという信条があって(笑)、仕返しはなかなかできないけど、お返しは先にしておこうと思って、いろいろとお世話になっている姉には「出たら手伝うよ」と言ってた。
 それで保釈後、姉のところに厄介になって3日目くらいに、早期仮出所を実現させるために骨を折ってくれた岡田祐介(東映・代表取締役)にもお礼を言おうと、アポを取った。そしたら、お会いする3日くらい前に、夢に岡田祐介が出てきて、その隣に坂上や姉、自分までいて、テーブルを囲んで『男たちの大和』の話をしている。驚いたことに、その後、現実に会いに行くと、夢と同じ面子が、テーブルを囲む位置まで夢の通りで、『男たちの大和』の話をしている。この正夢が出発点になりましたね。

──「復活」と言っていいのかわかりませんが、『男たちの大和』は大成功を収めました。
角川:復活ですよね。その言葉以外ありえない。

──企画発表のときに、「ほとんどの資金は私個人が負担」と言っていました。
角川:最初は、大和をミニチュアで作ろうという話をしていて。それを聞いて「俺がミニチュアでやったら角川春樹じゃねえ。金は出すよ」と言ったんです。でも、資金集めは大変でしたね。株を売却したりして、その金で映画を作れることになり。それから、テレビ朝日に行ったりと、いろいろなところと話をしました。

──キャスティングでも苦労はあった?
角川:ほとんど、ありませんでしたね。中村獅童は私が後援会長をしていたこともあって決めたし、反町隆史は刑務所で見ていた番組がNHKの『利家とまつ』であったことや、出所後に見たNHKのテレビドラマで軍人役を演じていて、それらを見て決めました。とにかく、反町と中村、この2人でぜひ行きたいと。
 ただ、監督を(佐藤)純彌さんにお願いしたことで、「なんで?」と言われたこともありました。でも、お願いした理由は明白で、例え戦地に行っていなくても、戦争を体験していることが、リアルな作品を作るためには必要だと考えたから。純彌さんとも方向性を話し合って、お互いに納得しての仕事でした。
 残念だったのは、企画発表会見を開く、ちょうどその日に、自分の母が亡くなったこと。友人からは「春樹さんドラマチックだよね、記者会見の日にお母さんが亡くなるなんて」と言われましたが、実は純彌さんの奥さんも撮影中に亡くなっているんです。「この映画は大事な人を失ってできた映画だよね」と純彌さんにも言われましたが、そういう意味でも、非常に思い入れの深い作品になりました。

150万人動員できなければ、映画から撤退

──角川さんから見て、今の映画界、とりわけ、邦画はどのように見えます?
角川:大人の鑑賞に堪える映画が少ないのが、まず1つ。作品数は多いけど、成功している映画も多くない。しかも、成功しているのはテレビドラマの映画化ばかり。ドラマを映画化するのでは、毒にも薬にもならないと思う。『笑う警官』も一応、話をテレビ局に持ち込んみましたが、1社からは「テレビ局としては警察を敵に回せない」と本音を言われました。つまり、テレビ局は、毒にも薬にもならない番組を作り、その中から視聴率を取れる番組を映画化しているわけで。だからこそ映画は、テレビにはできないことをやらなくちゃならないし、自分自身、毒にも薬にもならないような映画を作るつもりはありません。

──そういう意味では、『笑う警官』は、警察の汚職事件に一石を投じていますし、大人向けの映画に仕上がっていると思います。狙って作っているのでしょうか?
角川:今回の場合、原作の読者層が40代〜50代とはっきりしていることもあって、40代〜50代の観客向けに絞り込んで作っています。なので、この方たちが劇場に来なければ、この映画は失敗なんだと思います。
 先ほども言いましたが、この映画を監督をしたのはピンチヒッターとして。今後も、もし自分が監督をするなら、やはりピンチヒッターしかないと思います。ただ、自分がやる以上、ヒットするエンターテインメントを目指さなければならない。そのためにも、どの層に向けて映画を作るのかを、明確にしていく必要はあるでしょう。

『男たちの大和』の企画発表会見では、大勢の記者を前に「自分の全財産をこの映画につぎ込んでいます。家族にお金を残そうとは思っていません。この映画は私の遺書だと思っています」と毅然として語った角川氏。その並々ならぬ思いが、スタッフ・キャスト、そして、多くの映画ファンの心を動かし、大ヒット作が誕生していった。

その後、製作した『蒼き狼 地果て海尽きるまで』は興収14億円、『椿三十郎』は興収11.5億円と、『男たちの大和』ほどの大ヒットとはいかなかった。だからかどうか、「ヒットするエンターテインメントを目指す」という角川氏は、メガホンを取る今回、「150万人動員できなければ、もう映画は作らない」と、興行成績次第では映画製作から撤退することを表明している。「明言することによって自分を追い込むことになる」と背水の陣でのぞむ覚悟だ。

「これで見てもらえなければもういい。時代が違うということ」と語る角川氏。「それでも、映画の底力を信じている──」。そう、熱い思いをのぞかせていた。

『笑う警官』は11月14日より丸の内TOEI 1ほかにて全国公開となる。

(テキスト:安部偲)

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