『グッバイ・アンド・ハロー 父からの贈りもの』
アメリカでは2012年に公開済みのダニエル・アルグラント監督・脚本作品『グッバイ・アンド・ハロー 父からの贈りもの』が、ようやく今日から日本でも公開される。以前このコラムで紹介した『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』や『ジャージー・ボーイズ』、それに11月に公開予定の『ストックホルムでワルツを』など、今年は実話ベースの音楽映画の当たり年になっているが、これも間違いなくそんな流れに連なる一作だ。父=ティム・バックリィと息子=ジェフ・バックリィという、ともに夭折のシンガー・ソングライター親子が生きたそれぞれの時代を交互に見せていくプロットと、キャスト自身がこなす音楽シーンの魅力がとても高いレベルでバランスした、映画ファンにとっても音楽ファンにとっても見応え&聴き応えのある傑作になっている。
ティム・バックリィとジェフ・バックリィ。日頃から熱心にこの手の音楽を聴いている人ならともかく、一般的にはさほど知られていないこの2人は、実の父子にもかかわらず生前ほとんど(と言うかまったく)交流を持っていない。なぜなら、ティムが子どもを身ごもった妻を置いて早々に家を出てしまったから。しかし、60〜70年代にかけて9枚のアルバムを残し、薬物のオーヴァードーズにより28歳で亡くなったティムと、アルバム『グレース』リリース後のライヴ活動で世間の耳目を集め始めていた97年、30歳で謎の溺死を遂げたジェフの生涯は、時代を超えてオーバーラップする部分が少なくない。
物語は、奇しくも父親と同じシンガー・ソングライターとしての生き方を選んだジェフが、父のトリビュート・コンサートにシークレット・ゲストとして登場し、その“奇跡の歌声”で観客に衝撃を与えた91年のある日──つまりアーティスト=ジェフ・バックリィ誕生の瞬間に焦点を当てている。出演のオファーを受けたものの、父への恩讐の念が整理できずにコンサート当日まで遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)を続けるジェフと、父親になることを拒んで家を出て行く66年のティムの姿が交互に描かれ、実際にはほとんど交わることのなかった2つの稀有な才能が“父子”という絆のもと最後には収斂(しゅうれん)していく。たとえ2人のことを知らなくても、映画より映画的な運命に翻弄されたこの父子のドラマは、見る者の心を激しく揺さぶるはずだ。
ジェフ役のペン・バッジリーとティム役のベン・ローゼンフィールドのハマりっぷりも、伝記映画としての本作の完成度を押し上げている。ティムは自分のことだけを考えて音楽に打ち込み、ジェフはそんな父親の影を常に背負っている。対照的に見えて実は同じような虚無感を抱える2人の内面を、両人はとても丁寧に汲み取って体現しているように見える。演技以上に圧巻なのが、その音楽的表現力だ。冒頭で触れた『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』や『ジャージー・ボーイズ』でも、キャスト自身による歌や演奏がそのまま採用され、それが作品の大きな魅力につながっていたが、本作での2人も“当てぶり”をまったく使わず、すべてのシーンで自ら歌い、演奏している。なかでも終盤のコンサートのシーンは、バッジリーの希望により実際のライヴと同じ条件で収録が行なわれたという。(…後編へ続く)(文:伊藤隆剛/ライター)
・【映画を聴く】夭逝した天才ミュージシャン父子を圧倒的な音楽力で描いた傑作/後編
伊藤 隆剛(いとう りゅうごう)
ライター時々エディター。出版社、広告制作会社を経て、2013年よりフリー。ボブ・ディランの饒舌さ、モータウンの品質安定ぶり、ジョージ・ハリスンの趣味性、モーズ・アリソンの脱力加減、細野晴臣の来る者を拒まない寛容さ、大瀧詠一の大きな史観、ハーマンズ・ハーミッツの脳天気さ、アズテック・カメラの青さ、渋谷系の節操のなさ、スチャダラパーの“それってどうなの?”的視点を糧に、音楽/映画/オーディオビジュアル/ライフスタイル/書籍にまつわる記事を日々専門誌やウェブサイトに寄稿している。1973年生まれ。名古屋在住。
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